13時限目は「学校事務」をどのように分析するか、という話。
①学校に本当に必要な事務、それは学校長が行う事務から教頭や教員が行う事務、もちろん事務職員が行う事務まで、その総量は把握されたことはない。
②先輩事務職員から教わった学校事務は、大きく2つに分類されていた。
教育活動に付随する「教務事務」と学校経営に付随する「経営事務」だ。
大学レベルになると事務局が「教務事務」も管轄しているが、事務職員が少数という義務教育レベルではそうもいかない。なんといっても、最低限の人数である学校事務職員が1名という学校がほとんど。大規模校で2名または3名という職員数だ。
③小中学校に「事務長」という職務がなかった時代は、事務室と言っても事務職員の寄り合いで、とりあえず年配事務職員が「事務主任」という校務分掌上の位置づけだ。事務室はあっても行政的な事務組織ではなかった。つまり「職務明細」や「職務権限」が明らかではなかった。
④私が学校事務職員に採用された1970年代後半、「経営事務」ではなく「総務事務」という名称だった。教職員の給与・旅費・福利厚生と予算購入した教材物品の支払い事務が主な事務で、校務分掌で割り振られる係名も「学校事務」という曖昧な名称であった。
⑤そして校務分掌に「接待」(!)という係もあり、この仕事は来客へお茶を出す、という「業務」であった。「学校事務」と「接待」が校務分掌上同じレベルで記載された時代の話だ。
⑥ 多くの先輩事務職員はこういった状況に憤慨し、各々の勤務する学校内で校務分掌の表記の改革を進めていた。そしてそれは、「学校事務」という曖昧な表記をより具体的に記述し、学校事務職員が抱えている事務(事務処理ではない)を教員サイドへ(そしてそれは、学校長の意識改革を目指す)職務内容を開示し「見える化」を行っていた。
⑦70年代後半「学校事務の見える化」を事務研究会と組合事務職員部は両方向から推し進めていた。しかし、改革のブレーキになっていたのは、当時の学校現場の「男女差別のジェンダー意識」と「教育優先主義による事務軽視」だった。
⑧「学校事務職員のアイデンティティの不在」について以前書いたが、70年代後半から80年代にかけての学校事務職員の年齢別・性別構成(当時の組合事務職員部報で年1回情報として流れた)を見ると、年齢では男性事務職員のピークが40~50代前半、女性事務職員のピークが20~30代前半だった。長野県の性別構成比は、「男性35%:女性65%」である。
⑨多くの学校で20代の女性が勤務していた。そしてジェンダー差別に泣いていた。そしてこの中には、結婚または育児で退職する女性がいたことは事実だ。その20代女性の退職後にまた20代女性が採用される(供給される)というサイクルができていたのだ。
⑩80年代後半から90年代にかけての男女比は、「男性30%:女性70%」となっていた。
⑪女性が多くなった理由は次の通りだ。
1963年まで長野県の学校事務職員は22歳以上大卒上級職採用であった。当時は男性が多く採用された。しかし全国的になかなか学校事務職員が充足されず、国は法改正を行なった。それは「学校事務職員は吏員採用(大卒程度)」という大前提を「吏員に準ずる者採用(高卒程度)」でもよいということになり、18歳高卒初級職採用OKとなった。全国的に採用年齢を引き下げたのだ。
⑫長野県は「学校事務職」という職種のレベルを上級職採用から初級職採用へ引き下げた。県人事委員会の巧妙な作戦だと思うのだが、大卒でも受験可能なように22歳まで受験年齢とした。つまり初級職で大卒まで採用してしまおうという当時の作戦だ。県庁の行政初級職は22歳大卒は受験できないようになっている。
⑬上級職採用から初級職採用という方向転換は学校事務という職種全体の給与のダウンを意味する。つまり初任給引き下げと初級採用による昇格年齢の引き上げによる給料表のワタリを遅くしているからである。このことは、その後ずーっと組合事務職員部の闘争の懸案事項となった。
⑭長野県の先輩事務職員は、70年代に県事務研究会から「学校事務指導書」という加除式のマニュアル本を作成した。この加除式は法改正に対応できるようになっており柔軟なスタイルではあったが年2回の加除は大変だった。しかし、1人校勤務の学校事務職員や、国の「定数改善計画」で70年代80年代に採用された若い学校事務職員の増加によって、自己研修するマニュアル本として絶大なる支持を受けていた。私もわからない事務があるとこのマニュアル本を開いた。そして急ぎの仕事や読んでもどうしても理解できないときは電話で先輩事務職員に聞いた。場合によっては先輩の勤務する学校まで出かけて教えを受けた。
⑮先輩事務職員は学校事務を「総務事務」ではなく「経営事務」として理解していた。しかし、当時70年代の学校長には「経営的な発想」はなく、そうした発想は2000年になるまで待たなくてはいけなかった。そのため、「学校事務指導書」は学校事務職員が主に行うであろう事務として、学校事務から教務事務を除く事務を「総務事務」とした。
⑯このマニュアル本は「学校事務(総務事務)」を定性的に分類分析している。
その後何回か分類がマイナーチェンジされているが、それは学校事務職員が行う学校事務(総務事務)の「定性分析のやり直し」の結果である。
⑰このマニュアル本は約300の単位事務が分類され、その単位事務業務進行表の下部に「定量分析」を行う欄が記載されている。
さすがに優秀な先輩事務職員もこの欄をどのように活用するべきか、迷っていたに違いない。各学校で発生回数を記載するようにはなっていた。実際に「定量」を計測した学校があったということを聞いたことがない。おそらく誰もしなかったのではないだろうか。私もしたことがない。
⑱私は「定量測定し、学校事務の定量分析が必要だ」と考えた。それは学校事務職員が行っている事務総量を測定し、合わせて学校事務の質をどのように高めればよいのかのデータにするためだ。
⑲「ある学校の事務の絶対量をA」とする。このAを処理する「ある学校事務職員の時間当たりの事務処理量をB」とする。AをBで割ると事務処理時間が算出される。しかし、「ある学校」は大規模学校から小規模学校まであり、「ある学校事務職員」も新規採用者からベテランまでと事務能力に差がある。AもBも「変数」なのだ。「変数」をどう扱うか。
⑳この場合、「ある学校事務職員」という「個人の力量」を課題とすると問題が複雑になってくる。ここで、暫定的に「基準」を設定する。その「基準」が事務職員1人で処理できる事務量であると仮定する。その「基準」の根拠となるものは「定数標準法」と「地方交付税算出基準」だ。このどちらも、学校事務職員の配置数は「学級数」が基準だ。そして「学級数」から割り出される「教職員数」も重要だと考えた。
㉑1990年代に私は「学校事務職員の定量分析」について組合事務職員部でレポートを書いたことがある。この定量分析の試みは「学校事務の定量図表」とし小学校版と中学校版を作成した。縦軸Yに教職員数、横軸Xに学級数、の2次元表を作成し、長野県内の学校をプロットしてみた。「教職員数は県の仕事量」「学級数は市町村の仕事量」という意味である。つまり、教職員数が増えれば増えるほど教職員にまつわる事務が増え、学級が増えれば増えるほど、学校予算や学校徴収金、施設管理や学籍管理などが増えるからだ。それで、「基準となる事務量指数」というものを設定してみた。「教職員数」と「学級数」を掛け合わせた数値をその学校の「仕事量」と仮定した。それを「事務職員数」で割ると一人当たりの「事務量」となる。それを「基準事務量指数」と比較するのだ。
㉒「基準となる事務量指数」は、小学校事務職1人校で12学級で教職員20人とした。この規模だと学校事務職員は余裕を持ってあらゆる事務に対応できると思われるからだ。当時の組合事務職員部の事務職員数配置要求だ。(13学級以上は事務職員2名)
事務量基準指数=学級数12×教職員数20÷事務職員数1=240
「その学校の事務量指数=学級数×教職員数÷事務職員数」
(例1)例えば、小学校18学級で教職員数25人だとすると
18×25÷1=450 事務職員が1人なら 事務量指数450
(例2)しかし、地方交付税算出基準で18学級に市町村費事務1名加配できるので、
18×25÷2=225 事務職員が2人なので 事務量指数225
(例3)また小学校26学級で教職員数40人、事務職員も3人とすると
26×40÷3=346 事務職員は3人なので 事務量指数346
この例1~3の1人当たりの事務量指数を比較すると次のようになる。
小18学級2人校 225<基準 240<小26学級3人校 346<小18学級1人校 450
ここで重要なのは、学校事務職員個々の力量差は考慮していないので、仮説として、私個人がこれらの学校へそれぞれ赴任した場合の仕事量のイメージである。
しかし実際大規模校に勤務したときに2人校だったので、事務量指数は520だった。忙しかったことを覚えている。
㉓もし、小さな事務量指数の学校に赴任することができたなら、是非、教員が負担している事務の支援をしてほしい。学校徴収金関係は学校事務職員の仕事の一部として介入してほしい。
㉔私が定年最後の勤務校 M市M中学校は特別支援教育の分校を抱えており、実質2校分の事務を私1人で行っていた。
学級は16、教職員数は40名、事務量指数は640だった。前任の学校事務職員は体調を崩し若年退職した大変な職場だった。
㉕この「事務量指数」が仕事量の皮膚感覚(忙しさの体感温度)として、私個人にはそれなりにしっくり来ていたが、これも職場の環境(物理的にも人間関係的にも)に左右されるので、一般化されないが、定量分析の、いち方法論として参考にしてほしい。■