アップデートする学校事務職員

2050年学校事務職員への伝言

目次:ブログ「アップデートする学校事務職員」

目次:ブログ「アップデートする学校事務職員」

 

追記1:16時限目に、2019年須高事務研「事務室の情報発信」と2020年県教委新採者研修「事務職員の役割」の2つのスライドをリンクさせました。

追記2:15時限目に、2018年松本大学教育学部「学校教育現場を支える職員ー学校事務職員から見た現場」スライドをリンクさせました。

追記3:27時限目「楽しい仕事を目指して(このブログの構造)」で全体像を示してあります。

追記4:24時限目「学校事務職員Hの仕事」に1981年までさかのぼって発表してきたレポート名を記載しました。

追記5:コメントがあれば自由にご記入ください。

 

1-アップデートする学校事務職員はじめます

1時限目:アップデートする学校事務職員:はじめに - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

2-「学校事務職員」という地方公務員

2時限目:アップデートする学校事務職員:「学校事務職員」という地方公務員 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

3-人材育成の失敗と職種アイデンティティ

3時限目:アップデートする学校事務職員:人材育成の失敗と職種アイデンティティ - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

4-学校事務職員は何故学校にいるのか

4時限目:アップデートする学校事務職員:学校事務職員は何故学校にいるのか - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

5-「ジョハリの窓」と利害関係者

5時限目:アップデートする学校事務職員:「ジョハリの窓」と利害関係者(ステークホルダー) - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

6-「正規分布曲線分析」と一定数の反対派

6時限目:アップデートする学校事務職員:「正規分布曲線分析」と一定数の反対派 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

7-理系学校事務職員の発想

7時限目:アップデートする学校事務職員:理系事務職員の発想 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

8-ジェンダーと学校事務職員

8時限目:アップデートする学校事務職員:ジェンダーと学校事務職員 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

9-教育条件整備はハードウエアだけか?

9時限目:アップデートする学校事務職員:教育条件整備はハードウエアだけか? - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

10ー「未来年表」を作る

10時限目:アップデートする学校事務職員:「未来年表」を作る - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

11ーNeed/Wantマトリクス表

11時限目:アップデートする学校事務職員:Need/Wantマトリクス表 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

12ー「共同学校事務室」という活動

12時限目:アップデートする学校事務職員:「共同学校事務室」という活動 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

13ー学校事務の定性・定量分析

13時限目:アップデートする学校事務職員:学校事務の定性・定量分析 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

14ー「学校事務」と「学校事務職員」

14時限目:アップデートする学校事務職員:「学校事務」と「学校事務職員」 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

15ー大学生へ「学校事務」をプレゼンする

15時限目:アップデートする学校事務職員:大学生へ「学校事務」をプレゼンする - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

16ー新採学校事務職員へプレゼンする

16時限目:アップデートする学校事務職員:新採学校事務職員へプレゼンする - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

17ー現職学校事務職員へプレゼンする

17時限目:アップデートする学校事務職員:現職学校事務職員へプレゼンする - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

18ー自主研究会「学校建築研究会」のこと

18時限目:アップデートする学校事務職員:自主研究会「学校建築研究会」のこと - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

19ー学校組織と共同学校事務室

19時限目:アップデートする学校事務職員:学校組織と共同学校事務室 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

20ージョブ型公務員?と「ゆでガエル問題」

20時限目:アップデートする学校事務職員:ジョブ型公務員?と「ゆでガエル問題」 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

21ー知識創造スパイラル

21時限目:アップデートする学校事務職員:知識創造スパイラル - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

22ー学校事務職員スターウオーズ的サーガ

22時限目:アップデートする学校事務職員:学校事務職員スターウォーズ的サーガ - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

23ー学校事務の知的生産の道具と技術

23時限目:アップデートする学校事務職員:学校事務の知的生産の道具と技術 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

24ー学校事務職員Hの仕事(1997~2016)現職中の発表レポート

24時限目:アップデートする学校事務職員:学校事務職員Hの仕事(1997~2016)現職中の発表レポート - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

25ー2050年の長野県の学校事務「持続可能な学校事務とは何か」

25時限目:アップデートする学校事務職員:2050年の長野県の学校事務「持続可能な学校事務とは何か」 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

26ー2020年アップデートする小中学校事務

26時限目:アップデートする学校事務職員:『2020年アップデートする小中学校事務』 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

27ー楽しい仕事を目指して

27時限目:アップデートする学校事務職員:楽しい仕事を目指して - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

28ー「標準的職務表」について

28時限目:アップデートする学校事務職員:「標準的職務表」について - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

29ー子どもの心と学校事務職員

29時限目:アップデートする学校事務職員:子どもの心と学校事務職員 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

30ー自分の小中学校時代を乗り越える

30時限目:アップデートする学校事務職員:自分の小中学校時代を乗り越える - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

31ーおまけ「学校事務誌に掲載された原稿」

31時限目:おまけ「学校事務誌に掲載された原稿」 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

 

31時限目:おまけ「学校事務誌に掲載された原稿」

「アップデートする学校事務職員」おまけです。

学校事務誌に掲載された原稿をリンクしてありますので、ご興味があればお読みください。これで私のこのブログを終了いたします。本当にありがとうございました。

*全国誌である『学校事務』は、優れた情報誌であり研修にも利用できるものです。私は学校事務職員になってから退職後までこの雑誌を購読していました。自分の居住する地域だけに閉じこもらず、全国の学校事務職員という同業者の動向を知ることができ、広い視野で学校事務という世界を見ることができました。学事出版様、ありがとうございました。感謝です。

 

1)学校事務誌 1985年12月号「特集 学校事務職員とこころの問題」

 『揺れる心とアイデンティティ

  ーいつまで個体発生が系統発生を繰り返すのかー』

『学校事務 1985年12月号』揺れる心とアイデンティティ - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

 

2)学校事務誌 2020年6月号「特別企画」

 『ぼくは「学校事務職員」で「教育行政職員」で、ちょっと「教育職員」

  ー松本大学教育学部での3年間の講義からー』

『学校事務 2020年6月号』ぼくは「学校事務職員」で「教育行政職員」で、ちょっと「教育職員」 - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

 

3)学校事務誌 2021年9月号「特別企画」

 『「持続可能な学校事務」とは何か

  ー2050年の長野県の学校事務職員ー』

『学校事務 2021年9月号』「持続可能な学校事務」とは何か - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

30時限目:自分の小中学校時代を乗り越える

①「学校」という場所は、人間の記憶に時間(時代)を刻み付ける。「学校」という場所に行くだけで、タイムマシンのように過去をさかのぼることができる。

 自分を例にとると、私は1960年代から70年代に小学校中学校を過ごした。日本は高度経済成長で沸き立っていた。ひとクラス45人学級編成で、子どもがわんさかいた。小学校に入学した1962年は、映画で言えば「三丁目の夕日」のような時代だ。その昭和の記憶は、私には「いい思い出」が記憶に残っている。

②しかし、同じ時代を過ごしたからと言って、みんながみんな、「学校時代にいい思い出」を持っているわけではない。辛い思い出を持っている人たちもいるわけで、同じ時代を生きてきても人それぞれで、それを忘れてはいけないと自分を戒めている。

 例えば、今も差別やいじめは無くならないが、当時私が通学していた小学校の学区には「同和地区」などがあった。教室で子ども同士、そんなことなど気にせず自由に遊び、お互い友達同士でもあった。私は、その地域に居住する友達がそこに住んでいるというだけで差別されるということを高学年になって知った。江戸時代から続く身分制度が明治・大正・昭和と戦後の新憲法のもと、いまだに続いているのだ。このことは、自分が成人するにつれて、障碍者や女性などの理由だけで、理不尽な差別に苦しんでいる人がいることを知ることになる。自分が健常者で男性であるというだけで実は社会から優遇されている価値観の世界にいたので気づかなかったのだ。

③学校事務職員として、公立小中学校に勤務するようになり、「教育社会学」を自分なりに勉強して、社会の問題は決して学校教育とは無縁でないことを知った。社会の問題は学校現場で表出していたのだ。

 「学校事務の力(ポテンシャル)」というベクトルを二つの力に分割してみる。学校事務という仕事量を進める力を「パワー」と呼ぶとする。学校事務の質を高める力を「ギア」と呼ぶとする。それで「パワー」を横軸にし、「ギア」を縦軸にして考えてみよう。

 学校に就職した当時を「学校事務パワー:レベル0」とすると、経験10年くらいで「学校事務パワー:レベル2」くらいにはなるだろう。これは、「パワーアップ」はしたけれど、「学校事務ギアはロー」のままで、学校事務に対する考え方がひとつも進歩していないことを意味する。若いから力任せの学校事務だ。

 就職して若かった私は「学校事務の職種アイデンティティの確立」を目指そうとなんちゃら言ったり、そのことを学校事務誌に原稿載せたりしたが、「自分のこと」だけに注力していただけだった。この頃の私は、自動車で言えば、ローギアのまま一生懸命アクセルを踏んでいただけなのだ。学校教育のことなど考えてもいなかった。世界が見えていなかったのだ。

④「学校とは何か」を考え始めてから「学校事務ギアはセカンド」に入った。

 これにはきっかけがあった。自分の子どもが「不登校」になったのだ。まさか自分の子どもが不登校になるとは考えてもいなかった。晴天の霹靂だった。

 不登校になった理由は担任教員の常習的なクラス児童への体罰だった。教室が恐怖政治の場になっていたことが後から分かった。クラスの五分の一の児童が不登校という事態だったのだ。80年代という時代がそうだったのかもしれないが、当時の学校長はその事実を公にはせず、該当校の職員も口をつぐんだままだった。教員同士で批正し合うことは難しい時代だったのだ。

 1980年代の当時のマスコミが教育問題で扱った言葉に「校内暴力」と「登校拒否」がある。自分の子どもは言葉どおりの「登校拒否」つまり「登校を拒否した(担任にノーと言った)」のだった。

現在使用されている「不登校」とは意味が違うのだ。翌年私の人事異動でわが子は転校することとなり、そして転校した小学校で楽しく通学するようになった。やがて、その体罰担任は心身症で休職したと学校関係者から聞いた。教職員の精神疾患も出てきていたころで、この担任は子どもへの体罰という形で症状を発現させていたのかもしれない。だが、体罰を受けた児童はずーっと心に傷を残すことになる。重い罪だと思う。

⑤2010年代、街場の中学校に勤務していた時に、職員会でLGBTの生徒のことが話題にあがった。生物学的には女子だが、心は男子だという。幸いなことにこの中学校では、自転車通学があるため、女子の制服にスカートかパンツを選択できるようになっていた。女子の三分の一はパンツスタイルだったので、これについては問題とならなかったが、体育の水泳水着や、音楽の合唱の時に女声パートなどその子の配慮をすることになった。

 LGBTが社会で話題になっていることは知っていたが、身近な問題であることに改めて気づかされた。長野県では2000年頃から児童生徒名簿は男女混合で作られている。ことさら性別で分ける必要など何もないのだ。こうして、私は教育問題と社会問題がリンクしていることに気がつき、学校事務と学校教育をリンクして考えるようになった。

⑥話は変わるが、私は現職の時に、2回学校で泣いたことがある。

 1回目は、学校行事で給食がない時がある。「音楽会で給食が無いため弁当持参してください」の時に、父子家庭の小3の子が仕事で忙しい父親に「明日弁当持参の日」と言えなくて、自分で弁当を作って持って来た、と担任から聞いた時だ。担任が言うには、「お弁当の中身は薄焼き(うすやき)だった」という。父親は朝早く仕事に出かけたので、自分で薄焼きを作ったという。「薄焼き」というのは小麦粉を水で練ってフライパンで焼いて作った薄っぺらいホットケーキのような長野県の郷土食(?)のようなものだ。それではお腹がすくだろうと、担任は自分の弁当を分けたと言っていた。その時私はモーレツに怒りがこみあげてきたのだ、怒りは涙になった。何故私は怒ったのか?

 勤務していた学校は自校給食の学校で、音楽会行事とはいえ午後も授業するなら、給食を出しても良かったのだ。職員会で音楽会当日の日程が協議される中、弁当持参となった。給食調理員も出勤しているのに何故給食ができないのか。何故なら、職員合唱で給食調理員も一緒に歌うから給食調理はできないという理由だった。はあ~。

 給食が無くて弁当持参の日に困る家庭は多い。保護者がコンビニで弁当を買ってきて「これを子どもに届けてください」と事務室に届けてくることは多い。家庭状況でそれは仕方ないことだし、それもあり、だと思う。給食無しの日の担任は、受けもちのクラスの子どもを想定して、コンビニで自分の分と多めにおにぎりを買ってくる。その話を職員室で聞いた時、担任は大変だなあ、と思った。(学校給食は食教育というけど私は福祉の領域だと思います)

 話を続ける。自校給食で、給食調理員も出勤している。歌を歌うから給食調理ができない。え~。そんな理由ですか。自分たちの仕事を考えてくださいよ。給食を作るだけで、どれだけの保護者と子どもたちと教職員が助かることか。(もちろん音楽会の反省に私はこのことを意見した)

⑦2回目は、児童養護施設に行くことになった小6の子が、事務室にお別れの挨拶に来た時だ。保健室で身体測定をしている時に、養護教諭がこの子の体にあざがあるのを発見したのだ。担任が子どもに話を聞くと、家で男に殴られている、という。この子は母子家庭で、最近母親が男性と同居を始めたという。当然学校はこの事実を知った以上、児童相談所へ通報することとなった。このまま同居だと児童虐待の恐れがあるということでこの子は児童養護施設へ避難することになった。養護施設に避難する日、転校することになったということで、学級のみんなとお別れしてから、職員室に来て校長たちとお別れした。それから事務室にきて私たちに「お世話になりました」と頭を下げたのだ。それから児童相談所の職員と職員玄関から出ていった。その時のその子の何とも言えない淋しい眼差しを見たときに、涙が出て仕方なかった。

⑧教職員は、職員会で学校行事など大きく日程変更する提案などはあまりしない。できるかぎり、前年度踏襲が無難だからだ。この音楽会行事も前年度踏襲が続いていたのだ。

 保護者も自分たちが過ごした学校生活がスタンダードだと思っていることが多いので、学校が何かを変えようとすると拒否反応を示す。「昔は良かった」式の思い出話は、楽しかった良い思い出しか残っていない。その陰で泣いていた人たちが少なからずいたはずだ。

⑨『聲の形』というアニメ映画がある。

ろうあ者の主人公が、小学校で同級生からいじめられる話だ。いじめた側が今度は中学生になって逆にいじめられる側に立場が逆転する。その時、小学校の時にいじめたろうあ者の主人公の気持ちが理解できる。そして何とかして、そのろうあ者の子に謝罪したいと思うようになる。いじめられたろうあ者の子は小学校時代によい思い出は無い。辛く苦しい思い出だ。このアニメ映画は主人公たちがどうやって小中学校時代を乗り越えていくかをみせてくれる。いい映画だ。

⑩人間関係の中で「いじめる」という行為は、時に犯罪的である。人の命を奪うことさえあるからだ。その「いじめ」を傍観していた者も同罪となる。でも、多くの人は見て見ぬふりをする。自分には関係ないと。

⑪私の小学校中学校時代にも教室で「いじめ」があった。私にはそれを止めさせる勇気がなかった。自己保身で自分には関係ない振りをしていた。しかし、私は学校の職員となって強くなったのだ。社会人として私は勇気を持つことができた。言うべきことは言う。退職した今も、その勇気を持っている。

⑫「学校事務の仕事量を上げるパワー」は経験を積めば強化することはできる。

「学校事務の質を上げるギア」を上げるには自分の思考にアップデートが必要なのだ。そのチャンスがあるならやってみよう。

 私は、「学校事務と学校教育をリンクさせる」ことを考えて実行ができれば、自分をアップデートする(学校事務に対する考え方を書き換える)ことができたのだと思う。

⑬これで、この「アップデートする学校事務職員」ブログは終了します。ありがとうございました。🔳

29時限目:子どもの心と学校事務職員

①当初このブログを20時限目程度で終了する予定でいたのですが、わずかながら読んでくれている方がいると知って、少しづつ終了が伸びています。自分でも意外とびっくりです。それで29時限目まで来てしまいました。ありがとうございます。

②このブログを読んでくださる皆さんの関心どころをみると、「学校事務職員が何故学校にいるのか?」というテーマへのアクセスが多く、このテーマが読者の方たちに響いているということがわかりました。このテーマは永遠のテーマなんだなあ、と今更ながら再認識しています。みんな、「存在論」に関心を示すとはすごいです。

 どんな学校事務の理論や理屈をつけても、「この仕事」をしている「学校事務職員」は、生身の人間です。仕事は理論や理屈通りに進まないものです。でもやっぱり「それなりの理屈」は必要だと理屈っぽい私は考えています。

 「何のためにこの仕事をしているのか」は大事なことだけど、発想を少し変えてみましょう。「誰とこの仕事をしているか」という発想です。意外とこのことは大事なことです。楽しく仕事をしたい。楽しい仕事が誰れかのためになっている。そのベクトルの力と方向が、何のために、という目的につながっていくのが理想だ、と思うのですがどうでしょうか。

③誰と仕事をしているか。これは楽しく仕事をするための大事な要因です。

 例えば、自己中な管理職と仕事、という場合があります。こういった管理職にあたった時には、ほんと、メンタルやられます。もう仕事が楽しくない。昔、こういった管理職と仕事したことがあります。ほんとに片頭痛がひどかったです。ストレスがあると、身体に正直に不調が出てきます。心身一体ですね。長野県の学校の人事異動が在校3年から4年というのは福音です。こちらが先に異動でこの学校を出て行くか、相手が先に出て行くか。この私の場合は、相手が先に異動で出て行ったので良かったです。でも2年間も一緒だった。きっと3年も一緒だったら離職したかもしれないです。

 長野県の小中学校で事務室がない学校は、職員室の正面で校長・教頭・事務職員と机を並べることが多いです。たまに事務職員の机がこの列から外れる学校があって、事務職員の位置に教務主任の机が並ぶこともある。でも事務職員の机は管理職の机の近くのことが多いです。

 私の知っている事務職員の方は、管理職とそりが合わず、メンタルをやられて休職し、復帰してから、管理職の机から一番遠い所に自分の机を持っていきました。そばにいるだけで蕁麻疹が出ると言っていました。本人は翌年、転任を申し出て他校へ異動しました。

④楽しく仕事をしたい、と願う学校事務職員の心の内を覗いてみると、毎日が面白くない、で埋まっています。「何のために」という目的がはっきりしていると、少しは心の平安がもたらされることがあります。そして、「楽しく仕事をする方法」が見つかるかもしれません。

 私が学校事務という仕事の目的に「憲法26条の教育」を何度かブログで持ち出したのは、この学校事務という仕事の「北極星」のような存在だと思うからです。仕事の目的があれば、少しくらい変な教職員がいても、仕事を頑張れると思うからです。

 私が学校事務職員となって経験8年目くらいの20代後半の頃、戦後の学校事務草創期から仕事をしている大先輩から「ボーイスカウトのマグカップ」をプレゼントしていただきました。それは、この大先輩がボランティアで長野県ボーイスカウト協会の事務局をしていたからです。「長野県ボーイスカウト協会創立40周年」の松代焼の記念マグカップ

「このカップに絵が描いてあるだろ」「はい」「矢印の絵だ」「どういう意味なんですか」「この矢印は、常に北極星を指している。道に迷ったら、北極星を探すんだ。」

「なるほど。ボーイスカウトは良くキャンプしていますよね」「ボーイスカウトのモットーは、備えよ常に、だ。」「意味が深いですねえ」

 大先輩は、1945年の終戦時「満蒙開拓義勇兵」として12歳の時に満州中国東北部)にいて、生死を彷徨って生き抜いて帰国してきた人だ。長野県は全国で一番多く満州移民を送り出した県で、多くの子どもたちが満州で生きて帰れず亡くなっている。

「国策とはいっても、満州移民が大変なことを大人は分かっていたと思うが、子どもは当時の軍国主義教育のまま信じていた。おれも信じていた。信じ込まされていた。だから子どもにとって教育というのは大事なんだ」と大先輩は語っていた。大先輩は、子どもの教育、という北極星を目印に仕事をしてこられたのだった。

 話が何だかそれてしまったが、心安らかに仕事をするにはそれぞれ北極星になるものが必要だということでしょうか。私は憲法26条が日本中の学校事務職員の北極星になるのではないかと思っています。押しつけがましくてごめんなさい。

⑤学校事務という仕事についた初めての中学校で、特別支援学級の生徒から「友達になってほしいという目線」を送られたことがあります。遠くからジーっと見られているのです。当時の私は、「この目線はどういう意味なんだろうか」「私はどうすればよいのだろうか」と戸惑った。大学で教育心理学も児童心理学も教育に関係する勉強をしていなかったので、若かったこともあり、子どもたちのことがよく理解できませんでした。

 その時に思ったのは、学校に勤務するということは、やはり基礎知識としてそういった子どもの心のことが分かるような概論でもよいので「教育に関係する勉強」をする必要があるのだろうということでした。事務職員は、子どもに直接教育する教員という職種ではないけれど、教育現場にいる以上、学校事務職員に必須だと思ったのです。

⑥じゃーん。勉強しました。教育心理学関係の本を購入して読んでみました。とは言っても、読んだからと言って子どもの心が理解できるわけではありません。が、参考にはなりました。思春期の中学生は難しい。

 そして私は、子どもよりも職員室の教員の行動や心理の方に興味が行ってしまいました。教員は事務職員のことをどう思っているのか。管理職は事務職員をどう考えているのか。それから「学校」というものを深堀してしまい、公教育現場と学校事務職員の関係について悩むことになってしまいました。

 新人学校事務職員に必須の勉強は法令の他に、「教育とは何か」「学校とは何か」ということで、その知識を得る学問は「教育社会学」じゃないかと。それで「教育社会学」関係の本は何冊も読みました。学校とはどういう所なのか、そしてこの日本社会は教育をどうしようとしているのか、どうなっているのか、を知るために。

一読をお勧めする本はこれです。「有斐閣『教育格差の社会学』2014年」

今の教育社会学の課題が分析されています。

 脱線してしまいましたが、仕事柄、学校の子どもたち、特に支援学級にいる子どもたちやメンタル的に参っている子どもたちと友だちになることが多くなりました。これは、私が何か意図的に子どもに働きかけたわけではなく、私という人間を解放するために、「事務室壁新聞」という情報発信を行っていたからです。これによって、学校中の子どもたちが私に興味を持ってくれての結果です。

 それから、私は学校のどこかに花を育てることにしました。きっかけは、「1995年の阪神淡路大震災」で亡くなった神戸の小学生が育てていたヒマワリの種をもらったからです。学校の片隅に、ヒマワリの種を埋めました。ヒマワリは咲いて、種を取って次の異動した学校でヒマワリの種を埋めてと繰り返しました。退職後に、新潟県の小学生が育てていたアサガオの種をもらいました。この小学生は小児白血病で亡くなってしまい、その子が育てたアサガオから種をとって全国に種がばらまかれたとのことです。その種から子ども、孫と種が増えて、私は諏訪のある小学校1年生の児童たちが育てて採取したアサガオの種をいただきました。毎年アサガオを育てています。

 誰と仕事をしているか。見方によっては子どもたちと仕事をしていると言えます。

以下、「臨床学校事務:子どもと学校事務職員のゆるーい関係」の事例です。

 

⑦「事例1」自閉症の小5。山間部の小規模校。授業中に教室を抜け出して、職員室にやってくる。職員室には、私と教頭の二人。保健室に養護教諭がいるのにそこにはいかないで、職員室にやってくる。「仕事してるから、後で遊ぼうね」と言っても、そんなの関係ねえ、という感じだ。学校体育館を社会体育で貸し出ししている関係で、村内の有線放送機器(有線電話)が設置してあり、その電話を利用して職員室に電話してくる。「リーンリーン」「はい、◎◎小学校です」と私が出ると「もしもし、わたしです」と小5のあの子。「有線電話で遊んじゃいけないよ」というと「はいわかりました」と有線電話をきる。しばらくしてから、また有線電話がかかってくる。何度も何度も。「教頭先生、何とかしてくださいよ」「うーん、体育館に行ってくるか」その子は教頭と体育館で鬼ごっこして遊んで満足したようだ。

 これは、ある1日の話ではない。毎日毎日の連日の話である。今でこそ、自閉症児の理解が進み、さまざまな対応策で学習権の確保を行っているが、1990年代、山間部の小規模学校で特別支援学級も無く、普通学級の担任はこの一人の自閉症児に振り回されていた。担任の先生もほとほと疲れていたと思います。頭が下がります。

 私もこの子の遊び相手になってやりたいが、正直そんな時間はない。自閉症児の興味関心や特性を伸ばしてあげれば、成長するんだろうなあ、と思ったがこの環境の中では無理な話だ。職員会でも何度か話題になるが、担任の努力に期待するしかないという状況だ。その子と卒業後に一度郵便局で出会った。10年近く経っていたのに私の顔を覚えていてくれて声をかけてくれた。「◎◎先生」「はーい、U君だね。ひさしぶり」

⑧「事例2」不登校気味の中2。中規模の学校。私が事務室壁新聞というのを事務室前の掲示板に毎月張り出していた。当時流行っていた「動物占い」。子どもたちには人気だった。教室に入れない生徒たちが何人かいて、その子たちは別室の空き教室で自主勉強していた。学校へ登校すれば出席になるが、教室で授業を受けていないので学力はさっぱりだ。ある日、空き教室でその子の面倒を見ていた非常勤の元教員の年配の先生が事務室にやってきて、「◎◎さんが、事務室で勉強してもいいか?と聞いてきたんだけど、どうですか?」「ええええっ!」びっくりだ。その子は事務室壁新聞を読んで、私の動物を教えてくださいと、事務室に来たことはある。「うーん。事務机はあるからそこで勉強することはできるけれど、事務室はいろいろな人が出入りするし、勉強できないと思うけどな」「お試しでいいから、1日だけ願いをかなえてやって」「わかりました」

 きっと、その子は、閉塞感に押しつぶされそうで、自分の環境を変えようと思ったんだと思う。何かにもがいてもがいて、学校に行きたいけど教室にはいくことができないし、このまま空き教室で、自習のような勉強しても気持ちがふさがってしまうんだろう。自分の気持ちを乗り越えるには自分で何かを見つけるしかない。自分の心を解放するのは自分だ。心の解放のお手伝いができるかもしれない。

 この学校の事務室は、県費事務職員の私と市費事務職員の方の2人で仕事をしている。相方にも了承を得て、一日だけその子は事務室で自習していった。チャイムに合わせて自習していた。私たちのお茶時間にお茶を出してあげた。彼女はいろいろな話をした。そして、私は最後に「事務室は自習するには不向きな場所だから」と告げた。

 事務室で不登校の子を預かっているという事例を良く聞いたが、事務職員になんとかしてあげたい、という気持ち(私もあるが)があるのは大事だし間違ってはいないと思う。だけれども、事務室は短時間の緊急避難場所的にはOKだけど、恒常的にはやはり不可だと思う。この子にとっていい場所を探すのが学校職員全員の務めだと思った。この子は、学校外の不登校生たちが集まる○○の家という所へ行くようになった。

⑨「事例3」脳性マヒで肢体不自由な中2。松葉づえを使って行動。街場の中規模学校。3階建て普通教室校舎で中1の時は1階で、2年生は2階、3年生は3階となる。この子が中2になる時に、階段に身障者用の手すりを設置。事務室壁新聞を学校図書館に飾ってもらうことにしたら、それを読んだこの子が放課後事務室にやってきた。アニメのことなどいろいろ話していった。それから、毎日放課後、下校まで事務室に来るようになった。親が送迎のために車で生徒昇降口ではなく職員玄関側に駐車するので、この子は職員玄関の位置にある事務室前を通過して下校するようになったからだ。学級担任は「事務の先生の仕事のじゃまをするなよ」と注意して、私とこの子の関係を見守ってくれた。この子は自分の将来を次のように話してくれた。「足が動かないじゃん。だから動き回るいろんな仕事はむりじゃん。高校卒業したらコンピュータの専門学校に行きたいんだ。だから今、パソコンでいろいろ勉強してるんだ」「ほー、すごいじゃん。コンピュータでいろいろ儲かったら、お母さんも喜ぶな」「映画とかやってみたいから、動画をユーチューブにあげてるんだ」「変な動画上げたら、警察に捕まっちゃうよ」「変なのあげないよ。まじめなやつ」「じゃあ今度上げたら、教えて。観るから」

自分が置かれている位置や立場や状況を、それなりにわかっている。自分が身障者としてこれから生きていくことも受け入れて、それなりに将来を見ている。学校事務職員の私には、階段に手すり設置の予算要求くらいしかできない。

⑩「事例4」教室で元気な中3。目立ちたがり屋。山間地の小規模校。学校図書館に事務室壁新聞を掲示していた。そこに映画情報を載せていた。もちろん中学生が観てもいい映画だけを選んでいた。「先生、夏休みに観るいい映画教えて」と事務室にやってきた。この子は不思議系が好きだった。SF映画をお勧めした。ある日事務室にやってきて「先生知ってる~。1階の階段踊り場に女の子がいるんだよ。私、見たんだ」「ほんとかあ」「ほんとだってば」「それじゃあ、見に行ってみるか」

 私は自称、科学的思考ができる、と思っている。説明可能なもの以外は信じないが、こういった類の話が好きなのは事実だ。第六感というものがあるのなら信じたい。私の母方のご先祖様に祈祷師がいたという。ひょっとしたら、そういった類のDNAがあるのかもしれない。子どものころから、くじ引きやじゃんけんは当たることが多い。運がいいだけかもしれない。

 その子と、1階階段踊り場へ行ってみた。確かにぞくぞくするような場所だ。人があまり通らない場所ではある。いわゆる気が流れていない場所だ。つまり、太陽光が当たらず暗くて、空気の流れが澱んでいる。その子は成長期の思春期の女子特有の感覚過敏が誰よりも一段と強く感じるのだろう。

「霊感事務職員としてみると、確かにこの場所は気が流れていないように思う」と冗談ぽく言った。「そうでしょう。ここに誰かいるような気がするんだけど、先生感じない?」「もし、何かがいるとしたら、助けを求めている、かもしれないね」「なんか、こわ~い」「この階段は通らない方がいいよ。助けを求められても助けることはできないんだから」

 見えない誰かが助けを求めている、というメタファーは、おそらく自分のことなのだ。その子の家庭環境やクラスの人間関係、高校受験のプレッシャーなど、様々な要因が絡まり合って、自分を助けてほしいという声なのかもしれない。相談を受けた教職員はどの子にもアドバイスを送る。話すと心が晴れるという子もいるからだ。事務職員としてできるのは、事務室にやってくる子の話を聞いてあげるだけで十分だと思う。深入りしないことが大事で、こういう子が来てこんな話をしたと担任と情報共有するのが教職員の一人としての義務かもしれない。

 事務職員としてできるなら、気が滞るような校舎はぶっ壊して、気が流れる明るい校舎を建てたい。誰だ、こんな使いにくい校舎設計した奴は。■

 

28時限目:「標準的職務表」について

①ブログの投稿を終了して、しばらくしてこんなメールがやってきました。

「県の事務研究会研修会で、カリキュラムマネジメントの講演会があった。そして地区の事務研究会では標準的職務表の話があった。長野県教委が2020年に『学校事務職員の標準的職務表(改訂)』を出したからだ。学校事務職員だからああしろこうしろとうるさい。毎日の通常業務の仕事だけでも大変なのに、学校事務職員も専門性生かしてがんばって働いてね、という、私からすると労働強化だ。」こんな内容だった。(要約しています)

②2020年に文部科学省が『事務職員の標準的な職務の明確化に係る学校管理規則参考例等の送付について(通知)』という文書で、学校事務職員の仕事の範囲を例示した。

 これは、「学校における働き方改革」のひとつとして、教員と事務職員の仕事の明確化を図ろうとする動きの一環で、例えば教員が行っている会計業務は事務職員が行う仕事であるとする根拠になる文書です。参考例と書いてありますが、会計業務などが教員の多忙化の一つとして挙げてあるものです。

③元学校事務職員の一人して思ったのは、文科省が教員と事務職員の職務内容を明確化していくならば、仕事量の測定を行い、それが処理できる人員配置を予算化するべきだろうということです。少なくとも、教員からそういった会計事務処理をさせないというならそれでもいい。学校事務職員にそれをさせたいならそれでもいい。ただ、それを処理する事務職員を増やせ、ということにつきる。1人配置の小中学校にも、高校並みの3~5人の事務職員配置をすれば、会計業務だけでなくテストの記録作成などの教務事務まで手を広げることができます。文科省は教員も40人学級で生徒指導など大変なんだから、欧米並みに20人学級までに引き下げてあげれば、業務オーバーも少しは解決する話しだ。教育は人の配置です。

④人の配置なくして「働き方改革」はあり得ない。というのが、みんなが思っていることだと私は信じていますが、そうはいかないのが、いかのふんどし、ですね。みんな知恵出して「働き方改革」しています。私も現職の時に長時間労働でした。なかなか改革できなかった。仕事に対する責任感や使命感でしょうか?

⑤それで、私がいただいたメールの話しですが、

文科省が通知を出した2020年に長野県教委は、以前出した『標準的職務表(2004年版)』の改訂を行い、文科省の通知に合わせたような『標準的職務表(2020年改訂版)』を出しました。こちらは、事務職員の専門性を強調して、カリキュラムマネジメントや情報管理など学校長をサポートすることを第一表としており、第二表で各職名(経験年数)に応じた実務的な職務となっています。

学校教育法で「事務職員は事務をつかさどる」と改正されたことも含めての改訂版ということなのでしょう。それはそれで学校事務職員の価値を高めようという意思は理解できます。

 私にメールをくれた方は、採用されたばかりの事務職員に第一表のような学校長のサポート業務は経験もなく無理だろうし、「事務をつかさどる」には荷が重いだろう、ということも書いてありました。

学校教育法で「教諭は教育をつかさどる」とあり、新人教員も新人事務職員も同じじゃないかという意見もありましたが、新人教員へのサポートと新人事務職員のサポートは雲泥の差です。というか、事務職員にはちゃんとした計画的なサポートがない、というのが実態です。とりあえず、大規模学校の県費複数配置校に配置して先輩事務職員からOJTを1年間受けて、それから1人校で独り立ちしましょう。ということです。

⑥だからサポートセンター機能的な「共同学校事務室」?というのもありだけど、ちょっと違うかなあと思います。まあ、そういう側面がないこともないけれど、職務に必要な研修は、ちゃんと任命権者(県教委)や服務監督権者(地教委)の責任で行ってほしいです。

⑦学校事務職員が、1-学校現場で、2-子どもたちと保護者の教育を支援する、という基本形を崩さないようにしたいですね。そして学校事務というめんどくさい仕事を楽しむ気持ちを無くさないようにしたいです。

⑧「仕事を楽しむ」ということはどういうことでしょうか。

 現職中のある学校での話です。校舎改築が行われた学校に赴任しました。その学校は大規模校となってしまい、職員室で仕事をしていた学校事務職員にとって、教員数も増えてとても窮屈な職員室になってしまいました。前任者が勤務していた時に学校全面改築の話が持ち上がりましたが、財政難で校舎大規模改修という形になってしまいました。前任者はこの機会に是非事務室を作ってほしいと要望し、事務室が作られました。私はその大規模改修後に人事異動で赴任したのです。事務室は管理棟1階の真ん中の部屋でした。管理棟は東西に長く、西側が校庭で改修前は児童昇降口と学校玄関となっていました。そして東側に職員用裏口があったのですが、大規模改修後そこが学校の玄関になってしまい、西側は児童昇降口のみになりました。職員室は西側の児童昇降口を見るようになっており、事務職員もその玄関口に対応するようにデスクが並んでいました。大規模改修で東側の学校玄関をどう管理するのか。で管理棟の真ん中の部屋を改造して事務室にしたのです。文にするとイメージがわきませんね。来客や宅急便などは東側の学校玄関から入ってきます。自由に入ってきていただいて構わないのですが、大阪の池田小学校事件があってから、玄関は施錠するよう市教委から通知されているのです。つまり、ピンポーン、とインターホンが鳴ります。どちら様ですか?◎◎です。はーい玄関を開けに行きまーす。事務室から東側の玄関まで15m?はあります。これを毎日20人は来られるので、事務室と玄関を往復するわけです。この学校に赴任して、なんだこれは、と思いました。仕事が進まない。でも仕方ない。ちょっとネガティブな感情になりました。でもね。発想を変えたんです。「これは健康づくりの運動だ」

1回15mの往復で30m。平均20回なので、600m。大したことはない。ポジティブに考えることにしました。そうすると、来客が楽しいのです。これって「楽しい学校事務」ではないか?■

27時限目:楽しい仕事を目指して(このブログの構造)

①さて、私のブログもいよいよ本当に終わりとなりました。退職した学校事務職員のつまらないブログに付き合っていただき感謝です。ありがとうございました。

②ブログの内容は、現職時代の1980年代~2010年代、退職後の2020年代前半までの学校事務に関する内容となります。

③学校事務職員はこれからも採用され続けるでしょうし、そうなると若い事務職員とベテラン事務職員の間の世代間意識も大きく違ってくることが予想されます。世代間意識が大きく違うということは、とても良いことだと思います。ベテランからすると「何だ今の若い奴らは!」と思うかもしれませんが、若い事務職員の新しい価値観と発想で変化を起こすことができるのではないかと思うからです。「不易流行」という言葉があります。変わらなければならないことは変わっていくし、変えてはいけないことは変わらない、そういうふうに世の中はできているはずです。知らんけど。

④私のこの「はてなブログ」では、3種類の内容でできています。つまり三層構造ですね。表層は、「アップデートする学校事務職員ブログ」ですが、ブログ内容とできるだけリンクさせようと、下層に現職中の発表レポートを「学校事務職員Hの仕事」、退職後の講義スライドを「2050年の長野県の学校事務」として公表しています。

 

 1,『アップデートする学校事務職員』(メインブログ)

目次:ブログ「アップデートする学校事務職員」 - アップデートする学校事務職員 (hateblo.jp)

 2,『学校事務職員Hの仕事(1997~2016)』(現職中発表レポート)

目次「学校事務職員Hの仕事(1997~2016)」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

 3,『2050年の長野県の学校事務』(退職後の講演スライド)

目次「2050年の長野県の学校事務」 - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

 

⑤1の『アップデートする学校事務職員』の中のブログの中から、2と3の発表レポートやスライドへできるだけリンクするようにしてあります。

⑥ブログは1時限からではなく、この27時限から逆に読んでいってもOKです。

⑦今働いている学校事務職員のみなさんに少しでも役立てばうれしいと思います。

⑧学校事務職員のだいご味は何といっても「児童や生徒たちとの交流です」。

これは役所の中にいたら絶対経験できないし味わえないものです。役所にいる職員と学校現場にいる職員の大きな差異です。

「教育現場で仕事をするのが学校事務職員です」楽しい仕事を!

 

⑨職業アイデンティティの所でも書きましたが、私たち働く人間の心理状態なども仕事をしていく上で大きな影響があります。新人から経験を積みベテランとなり、退職を迎えます。新人の頃の「不安感」。アイデンティティの揺らぎ。そしてアイデンティティを確立していこうとし、とりあえずの心理的な安定期。ところが、ミドルとなった40代を過ぎてからユング心理学の「人生の秋」を迎えます。50代へと向かう中で再度のアイデンティティの揺り戻しがやって来ます。それを乗り越えての退職です。私は、退職で学校事務人生は終わったと考えていました。退職後は第二の人生だと。ここに三回目のアイデンティティの揺り戻しがやってきたのです。この一連のブログは、私の最後のアイデンティティの確立、自己同一性の確認作業だったのです。それは、後輩の皆さんたちが「学校事務が楽しい仕事」になることを願ってのことです。

出典:『わかりたいあなたのための経営学入門』1998年・宝島社p149

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26時限目:『2020年アップデートする小中学校事務』

 2020年7月、長野県の大北地区 組合事務職員部長から講演の依頼をされた。

 このブログの題の元となった「アップデート」の講演だ。

 部長が言うには、大北地区学校事務職員の構成がベテラン層と若年層に大きく分離してきていること。そして若年層は、大規模校で1年間のOJT研修が終わっての異動で、初めて一人で学校事務を行うことになって不安を抱えていること。そこへもってきて、大北地区で全郡市的な学校間連携(いわゆる共同学校事務室)が法制度化されたこと。ベテラン層はこれにどのように対応すればよいのか。というような講演依頼の趣旨だったように記憶している。

①長野県の新規採用者は1年間大規模校で、ベテラン事務職員と二人で学校事務を実務研修していくが、2年目は人事異動で1人校へ赴任することになる。先輩事務職員に守られていた大規模校での経験を生かして、今度は一人で学校事務をマネジメントしなければならなくなる。どうやってマネジメントするか。その参考になるように、自分の体験談を話しながら、マネジメントの基礎的な話をする。自分は何のために学校にいるのか。それが分からないと、これからの仕事はつらくなる。それが気持ちに落ちれば、不安も経験を積んでいくと解消していく。

②そしてベテラン層からすると、降ってわいたような「共同学校事務室」をどのように運営していけばよいのかが課題だった。学校事務研究会がそのまま共同学校事務室になったと考えて、この状況を上手に利用することを考えたい。メリットだけでなくデメリットもある。それは「評価がされる」ということだ。そこのところをうまく行う知恵をベテラン層は考えたい。全郡市が共同学校事務室になったことで、県教委から兼務辞令が発令されている。若年層の不安解消のOJT研修を学校を越えて行うことができるし、他校とのコラボする学校事務などアイデア次第で、充実した学校事務ができるだろう。

この状況を、「学校事務がアップデートした」ととらえてもよいと思う。私は運営の仕方いかんで、「学校事務のバージョンアップ」ができるとみている。しかし残念ながら私はすでに退職した元学校事務職員。口も手も出すことはすでにできないので、優秀な後輩事務職員の皆さんにおまかせすることとしたい。■

その時のスライドはこちらです。

2020年「アップデート?する小・中学校事務(長野モデル2.0)」 - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)