補講です。「健康問題」について書いておきます。
①どんな仕事もどんな職業もそれをするには、心身の健康が一番です。
自分の健康管理は自分でしないといけません。自分の身体は決して他人にはわからないからです。だから、もし自分の心身にトラブルがあるとしたら、自分のことを他人に話すことが大事です。それが嫌だという人もいるでしょう。でも、どんなトラブルも話さなければ他人にはわからないし、話すことが解決になる近道だと考えます。
②まず、私自身をモデルケースにして事例分析してみます。トラブルなどは一人ひとり違うので参考としてお読みください。
③人間は「からだ」と「こころ」がリンクしていると私は考えています。
病気を分解して治療法を考える西洋医学的発想ではなく、病気を総合的に考え治療法を考える東洋医学的発想を持ちたいと思います。
それは、結果的に病気が個人に起因するものには違いありませんが、病気を誘発する要因が職場の環境などにもあるからです。
④学校事務職員になった20代。それはメンタルの弱さを露呈する年代です。
私が採用された1980年代の学校事務は、先輩のサポートもなく、学校で一人の事務職員という、きわめてメンタル的にも厳しい時代でした。本当に就職3日目でこの仕事を辞めたいと思いました。仕事の仕方が分からないのですから。不安で仕方ありません。職場で仕事の仕方を誰も教えてくれません。校長や教頭でさえ学校事務職員の仕事は何をする仕事なのか理解していません。
学校事務職員は優秀だと思います。私は書類を作ることはできました。私も含めて学校事務職員に採用された皆さんは書類を作成することができました。優秀だからです。書類の元データがあれば、それらから類推して新しい書類を作成することができます。
就職当時は学校事務という仕事の全体像が分からず、自分は何をしているのか、という職業アイデンティティが形成されていませんでした。本当に心が不安定でした。
こころが不安定だと、どうしても気持ちはネガティブです。仕事を辞めたいという、後ろ向きの発想になっていきます。
ある日、地区の学校事務研究会の研修会がありました。当時その会議で、先輩たちの愚痴などを聞くことが多く、それがこの学校事務という仕事の本質のように思えました。ストレスの多い職業なのか?採用されて3か月を過ぎた頃から転職を考えました。
⑤メンター(相談者)の必要性。実は見つけるのが難しい。
仕事をしていく上で、メンター(相談者)は必要です。
どんな仕事にも悩みがあり、一人では解決できないことがあります。学校事務職員は学校に一人配置が多いので、仕事上のトラブル等、時々悩むことが多くなります。同じ職場に相談できる人がいればよいのですが、いません。当時の私のメンターは同じ地区に配属された同期の学校事務職員でした。しかし、今のようにスマホがない時代です。休日に会って、話をする悩みを話すということしかできません。ところがです。同期の彼の方がもっとネガティブ思考で、私の方が相談役になってしまいました。彼の愚痴を聞く役目です。
「メンターとなるいい先輩を見つける」というのは難しいです。
当時は学校事務研究会や労働組合の学校事務職員部会に出席しないとそういった先輩を見つけられません。聡明で優しい先輩を見つけるのは難しいと思っていましたが、毎年参加しているうちに、先輩の誰がどういう人か、わかってきました。20代の自分が40代50代の先輩に声をかけることは難しい、と思っていましたが、話しかけると先輩たちは優しく対応してくれました。でも、なかなか先輩に声をかけることはできませんでした。結局、先輩のメンターを見つけることができませんでした。
2000年代になり、私は中堅の学校事務職員になっていました。後輩からどう思われていたのか知る由もありませんが、私は自分から後輩に声をかけていく先輩になっていました。
退職後、若い学校事務職員の方が、学校事務研究会にも労働組合にも入らない、というのを聞きました。先輩との出会いを持たないということに、もったいないことだなあと思いました。メンター(相談者)を探すということは、仕事を楽しく有意義に、そして心身の健康のためにも必要な作業だと思います。
私自身は、メンターになる先輩を見つけることはできませんでしたが、これぞ、と思う先輩には声をかけたり、手紙を出したり、積極的にコミュニケートしました。30才を過ぎてから「学校人類学研究会」というのを勝手に作って、自分の観察した学校の文化人類学的環境を仮説と自己的な推論を書いてプリントしこれぞと思う人たちに配布していきました。私にとって書くことがストレス発散になったのかもしれません。
⑥1980年代~90年代にかけて、私は「自分が仕事をする環境(事務室や職員室)」を考えるようになりました。
ある山村の単級の小学校に赴任した時のことです。職員室に机があり、そこで仕事をするのですが、机の位置が出入り口の近くなのです。これは学校でよくある配置で、学校事務職員が来客者の対応を真っ先にするという「暗黙の了解」があるからです。全館暖房など無い信州の学校です。職員室に出入りする人がいるたびに、冷気が流れてきます。寒い。このため、風邪をひくことに。あるいは、足の指がしもやけになったりしました。職員室の配置換えを(若かったので提案)できませんでした。
⑦職員室あるいは事務室で仕事をする時、私は「植物が元気に成長できる環境」かどうか?それが、「学校事務職員が過ごしやすい環境」かどうかを指標としていました。
植物が育つ環境は、温度・湿度・そして太陽光です。私は鉢植えの植物を自分の机の近くに置きました。事務室のある学校でも、事務室の位置が北東の角であったり、北であったりしました。そこでは太陽光も当たらず、暗くて寒い部屋でした。
私が勤務した学校で具体的に評価をしてみたいと思います。
0.学校名 場所 机等の位置 評価(◎、〇、△、×)
1.A中学校 職員室 机は北東の角 〇大きな職員室の奥で明るい
2.B中学校 職員室 机は北西の角 △大きな職員室で出入口の近く寒い
3.C小学校 職員室 机は南東の角 ×職員室自体が北側にあり暗くて寒い
4.D小学校 事務室 机は南西の角 〇狭い事務室で南に窓はあったが暗い
5.E小学校 職員室 机は北東の角 ×狭い職員室で出入口の近く寒い
6.F小学校 事務室 机は北西の角 ×狭い事務室で北にあり暗い
7.G小学校 職員室 机は北東の角 △大きな職員室で出入口の近く
8.H中学校 事務室 机は南西の角 △狭い事務室で出入口近く
9.I小学校 事務室 机は北東の角 ×狭い事務室で北にあり暗い
10.J中学校 事務室 机は南東の角 ◎狭い事務室だが明るくて快適
11.K小学校 事務室 机は南東の角 〇狭い事務室だが明るい、ただ換気が悪く暑い
12.L中学校 事務室 机は南東の角 ◎狭い事務室だが明るく快適
13.M中学校 職員室 机は北西の角 △広い職員室だが出入口の近く
オフィス環境は、私の学校事務の研究テーマの一つで、教研集会にレポート発表したことが何度かあります。職員室の配置換えなどもいくつかの学校で行ったこともあります。教員は学年を変わるたびに職員室内を移動していきますが、管理職や専科、特に事務職員はほぼ固定です。それは書類が多く、書類の移動が難しいからです。でも、職員室内でも移動は可能です。労力は使いますが。
話しは変わりますが、こういった職場環境のテーマから、私は子どもたちの教育環境ということで校舎という建築物としての学校、教育条件整備の一つとしてのハード面、という方向に興味関心が移りました。
⑧対人コミュニケーションによるメンタルヘルスについて考えてみます。
学校事務職員として毎日常に顔を合わせるのは教員です。特に管理職とは連携をとる必要があるので、長い時間付き合うことになります。この場合、管理職の人間性等が大きく学校事務職員に影響します。
1980年代の昭和には、今でいうパワハラやセクハラの管理職もいて、悩んだ学校事務職員も多かったと思います(調査がされていないので、数値的なエピデンスはありません。私が体験したり聞いたりした内容に基づいています)。私が体験した20代の頃、パワハラの管理職がいて、悩まされました。「こいつ本当に教員か!人格を疑うぞ。」と何回思ったことか。
30代になって、ある学校でメンタルが不調になり休職に入った学校事務職員がいました。休職の補充職員が見つからず、私は近くの学校に勤務していたので、依頼されてその学校の事務仕事をしに行きました。その学校の管理職がパワハラをしたのかセクハラをしたのかモラハラをしたのか、それは分かりません。休職から復職したその事務職員に話しを聞いたら、「その人が近くに座っているだけで吐きそう」というすごい嫌悪感です。その人と机を並べての職員室での仕事なので、復職後はその人から一番遠い所に机を引っ越して仕事をしていました。
40代の頃に私が困った職員は、現業職員の方でした。その方は、中途採用の方で前職を何故やめたのかわかりませんが、学校の施設管理員として採用された方でした。前職ではバリバリの営業マンであったらしく、事務室に来ては自慢話をしていきました。学校事務職員をバカにするような雰囲気があり、ちょっと困った存在でした。私の前任者が若い女性事務職員だったためか、事務室に来てはお茶を飲んでいったらしく、事務室はお茶を飲む場所だと勘違いされていました。その勘違いをさせたのは、この学校の管理職たちだったということが後でわかりました。それは、私が着任して驚いたのは、午後3時になると管理職や管理員たちが事務室へきてお茶を飲むという慣習があったことです。「ここは喫茶店ではないぞ」とこころの中で思っていたので、「事務室でのお茶会」の廃止を私が宣言しました。このことが気に食わなかったのでしょう。何かと私に突っかかることがあり、私はうまくよけていた、と思うのですが、心のストレスになっていたのです。この人とこれ以上付き合えないと判断して、教育事務所に人事異動を申し出ました。危険から逃げることは自己防衛上大事です。
⑨オーバーワークから始まる心身の不調について考えてみます。
県費学校事務職員は基本1校に1名配置がほとんどです。学校規模で、市町村費事務職員が配置されたり、大規模校には県費2名配置というのがあります。
私にはオーバーワークだったと思われる勤務校が2校ありました。一つは市町村費事務職員が配置されて当然の学校にもかかわらず、配置されていない小学校に勤務していた時です。仕事量は2名分です。それを1名で行います。この時初めて「片頭痛」というものになりました。それまでは頭痛というものになったことがなく、正直びっくりしました。「片頭痛」はそれ以降、退職するまで悩まされました。そして「腰痛」です。整体の先生から「歩きなさい」と言われました。歩けば腰痛は治ると。学校内で、できるだけ歩くことにしました。時間を決めて歩く、校内巡視と称して歩きます。「犬の散歩」「猫の散歩」と私はよびました。
「片頭痛」「腰痛」は40歳を過ぎていたので、心身が変化していく時期だったためかもしれません。中高年の病気はいろいろありますが、自分もその中高年になっていく過程で、体調に注意していくべきだったと反省しています。そして人間ドックで「緑内障」を発見されたのも45歳を過ぎてからです。
⑩心と体と頭
心の健康維持は、「ストレスをどのように発散するか」、その方法をたくさん持つことだと思います。JAXAでは宇宙飛行士になる人に、宇宙空間でのストレスを発散するために「100の方法」を書き出させるそうです。それは何でもよくて、音楽から読書、運動、文化活動何でも、具体的に100とおり、書かせるそうです。
当時の私のストレス発散は、山歩きもありましたが、映画鑑賞が主でした。1年に100本近く鑑賞した年もありました。
体の健康維持は、運動量の確保です。車通勤やデスクワークで運動量は減っていました。私は50歳から、車通勤から電車通勤に変えました。どんなに遠い学校に赴任してもできる限り電車通勤にして「歩く」を目指しました。しかし、信州の学校は公共交通機関が限定され自家用車でなくては通勤できない学校が多いのが難点です。
頭の健康維持は、勉強です。仕事をするには新しい情報が多くて、追いつかないくらいですが、社会情勢も含めて自主勉強は必要です。学校事務研究会や労働組合事務職員部会で、新しい情報を学習するという姿勢だけは続ける必要があります。
大北事務研で役員をしていた頃、「国家資格を取ってみよう」というのを提案したことがあります。もちろん、勤務時間外の自主勉強会です。当時インターネットが普及始め、コンピュータ関係の資格を希望者で勉強して受験しようということになりました。「初級システムアドミニストレータ(情報処理技術者試験・経済産業省)」です。現在は名称が変わっていますが、コンピュータ関係の知識はこれからの学校事務に必要となるだろうということから、受験テキストを購入し、希望者で毎週集まって勉強会を行いました。もちろん、2003年に資格を取得しました。
勉強は何でもいいのです。興味あること、楽器とか語学とか、人間は発達する可能性が沢山あるのですから。
心と体と頭はリンクしています。健康問題の解決のきっかけになればうれしいです。■