アップデートする学校事務職員

2050年学校事務職員への伝言

2時限目:「学校事務職員」という地方公務員

 2時限目は「学校事務職員」に就職した時の「自分のわだかまり」について書く。

 

①「学校事務職員」という仕事を世間に対してどのようにプレゼンすればよいのか。それを現職中に考えていた。それは現職中に勤務校の子どもたちから「先生は何の先生?」という質問をたびたびされるからだ。それは自分自身が自分の仕事を理解していなかったからだ。

②大人はいい。「お仕事は何をされていますか」と聞かれたら「長野県の公務員です」と20代の頃は答えた。多くの大人は(・・・どこかのお役所にお勤めか?)と想像する。時々、突っ込んだ質問もされることがある。「で、何をされているんですか?」。私は「学校で事務職員しています」。ここで大体の大人は質問をやめる。これを最初の質問の時に「学校に勤めています」というと、「何を教えているんですか?」となる。

つまり学校には教員、いわゆる先生しかいないという発想からそのような質問になる。

③私は30代になって、やっときちんと「学校の事務職員です」と言えるようになった。20代の自分の中に、何かわからないが何かのこだわりがあったのだと思う。それは次のようなことが原因だと自己分析する。

 就職する段階で、そもそも、自分自身が「学校事務職員」は何をする仕事なのか理解していなかったことだ。そして、地方公務員となって地域に貢献したいなどという崇高な使命を持っていなかったのだ。

 私の学生時代は、第四次中東戦争(1973年~1977年)による「第一次オイルショック」の不景気な時代である。就職できることが第一目標だった。取り寄せた長野県職員募集チラシに「公立小中学校事務職員採用試験」という名称に目がいった。学校の事務職員?小中学校に事務職員がいたのか。自分の小中学校時代を思い出す。職員室に座っていたあの人がそうだったのかなあ。高校や大学には事務室や事務局があるので、教員以外のスタッフがいるということは認識していたが、自分が小・中学生時代は認識すらしていなかった。無理もない話だ。私自身が学校事務職員と交流することがなかったのだから。

④1970年代後半、学校事務職員に採用された私は、第一目標の「就職する」という課題をクリアし長野県で生活することになった。私はまだ「地方公務員」という範疇のイメージでしか「学校事務職員」を想像することができなかった。公務員として先輩事務職員から仕事のイロハを教わっていくのだろうと思っていた。それは大きな誤算だった。いきなり学校現場で、右も左もわからない新人に公務員という仕事をさせるハードな職場だった。そして、仕事をしながら、「これは厳しい仕事だ」ということに気が付いた。

⑤この職業を「表現する方法(学校事務という仕事の説明)」がわかれば、最初に書いたように、世間にプレゼンすることができる。しかし、仕事をすればするほど、若かった自分は何の仕事をしているのかと考え、やっと仕事の面白さが分かってきた中高年になって、世間にプレゼンすることができる自信がついたのだ。しかし現職中にプレゼンすることはなかった。結局、退職してから教育学部の大学生に学校事務をプレゼンすることになった。

⑥この職業は、まず、「仕事に対する心構え」が必要だ。どのような仕事もそうかもしれないが、ロールモデルとなる先輩が必要だ。

 スターウオーズという映画を思い出そう。フォースを持っていても、トレーニングしなければその能力を利用できない。そして何よりも人生を教えてくれる「師(マスター)」との出会いが必要なのだ。その時、仕事に対する心構えも確固としたものになるのだと思う。

 私は、仕事のロールモデルとなる先輩を見つけることができなかった。しかし尊敬できる先輩は多くいた。不思議なもので、経験を積んでくる中で、「あの先輩はすごい人だ」というのが分かってくる。私はそういった先輩に手紙を送った。パソコンメールのない1980年代~90年代の話である。

⑦私が40歳を過ぎた頃、県教委と県事研共催の研修大会で「事務改善」という分科会で講師をすることになった。初めての講師体験だ。この分科会は、学校事務という仕事をどのようにして進めるか事務改善するかという「仕事の技術」の話だ。でもその時思ったのは、仕事の技術的なことではなく、何故この仕事をしているのか、という「How toではなく Whyが分かること」がなければ、どんなに技術がうまくなっても何も解決しないのだろう、ということが予想された。私はWhyを話すことはなかった。

⑧やがて私は、子どもたちに「何の先生?」と聞かれたら「事務の先生だよ」と答えるようになった。小学校1年生には「事務って何?」とわからないかもしれない。でもそれでいいんだと思う。学校探検で来た1年生が、事務室に興味を持つ。事務室のない学校だと職員室に興味を持つ。その時子どもたちに、普段見せない事務室や職員室の秘密の場所を見せる。学校に「学校事務職員」という人がいる、ということがわかれば大成功だ。

⑨私は「学校事務職員」という存在をアピールすることを考えた。松本市の小学校で勤務したときに、「事務室ポイントカード」というのを1年生のあるクラスの子どもたちと行った。朝からポイントをもらおうと1年生が事務室前に並んでいた。楽しい交流だった。中学校に勤務したときに「事務室壁新聞」というのを行った。つっぱった男子中学生が事務室に乗り込んできた時には「ドキドキ」した。「先生、壁新聞にある動物占いを教えてくれ」という。やっぱり、中学生なんだなあ、と胸をなでおろした。事務室に閉じこもるのはいやだった。きっかけをつくりたかったのだ。交流することによって、子どもたちのために、この学校を事務職員の立場からいい学校にしようと考えるようになった。

 学校事務職員という職業に巡り合えたのは偶然だったが、この仕事を続けようと思ったのは必然となった。■