アップデートする学校事務職員

2050年学校事務職員への伝言

1時限目:アップデートする学校事務職員はじめます

①今日から折を見て「アップデートする学校事務職員」というブログを書くことにした。「アップデートする学校事務」ではなく「アップデートする学校事務職員」である。人間の考え方などは急には変えられない。だけど、刺激を受ける何かがあると、ちょっとだけ変わることができるかもしれない(たぶん)。学校事務職員として、仕事に対する考え方をアップデートしてみようという意図だ。

②大きく変化させる「バージョンアップ」ではなく、徐々にステップアップする「アップデート」ということで、学校事務に対する考え方や行動を修正し機能強化していくことができたらうれしい。そしていつの間にかバージョンアップできていた、というのが好ましい。

③元学校事務職員の屁理屈と現職当時の実践を元にこのブログは書かれる。興味があるようだったらお読みいただきたい。実践の地域は「長野県」である。もちろん他県とは学校事務についての様々な条件が違うことを前提として書いていく。いち地方の学校事務職員の話だが、どこかで全国とつながる話になるかもしれない。全国の皆さんに羞恥をさらすブログになるかもしれないが、誰かの仕事の参考になればうれしい。

④1時限目は自己紹介を兼ねながら「学校事務職員」として就職した1970年代後半から80年代について思ったことや考えたことを書いてみた。

⑤私は学校事務職員を2016年に退職した。退職と同時にこのまま学校事務業界からフェードアウトするものと勝手に思っていた。ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。「学校事務職員としての経験と研究を話す」という機会があちこちから(おおげさかも)与えられたのだ。そうなると、いろいろ頭の中を整理して、相手が理解しやすいように、自分が行ってきた学校事務実践を理論化?体系化?する必要が生じた。

⑥それを退職後の2017年から2022年まで、話す相手によって内容を整理しPowerPointでプレゼンしてきた。話を聞いていただいた相手がどのように理解しどのように評価したのか、それはわからない。 しかし、「私の話を聞きたいという需要?があるということは、退職をしたけれど、まだ学校事務職員として終わっていないのかもしれない」と思うようになった。

⑦では、「こういった機会を生かして、私の学校事務職員としての最後の総仕上げにしよう」と考えた。そう考えると、「話したことを文字情報として記録しておきたい」という「思いあがった気持ち」が起こった。それがこのブログ「アップデートする学校事務職員」である。

 なお、このブログは公開しているが、ここに書かれていることが決定稿ではなく、全国に公開しているので、不適切な言葉や思い違いなどを発見したら、随時修正加筆を行っているのでご容赦願いたい。同じ時限の回をもう一度読むと微妙に違っているかもしれない。

⑧このブログの中で使用する単語の定義をしておきたい。

ここで使用する「学校事務職員」は、「公立小中学校事務職員」のことをさす。法律により、都道府県教育委員会が採用し(県費事務職員という)、市町村立小学校・中学校等に配置される「義務教育学校専任の事務職員」である(小中学校の教員も同じ採用と配置の仕組みである)。長野県は基本的に県内の公立小・中学校を3~4年で人事異動する。学校へ配置する事務職員数は『定数標準法』によりほぼ基本1名である。大規模小・中学校になると2名配置等となるが、事務職員1名で配置された学校の事務をすべて行っていると考えていい。もちろん、1人でできる仕事の限界があるが。

⑨私は、1970年代後半に県教育委員会に採用され、県内10市町村の小・中学校で事務職員として仕事をした。昭和・平成の学校現場だ。勤務した学校は、生徒100人未満の山間地小規模校から、児童1000人の都市部大規模校まで、様々な労働条件の中で文句を言いながら、でもそこに「楽しい学校事務」という光を見出して仕事をしてきた。

⑩私は、学校事務(それと連動して学校事務職員)は、2017年にバージョンアップしたと考えている。学校事務についての考え方、そしてその学校事務を遂行する事務職員組織編制を大きく変える法改正があったからだ。それは次のような理由からだ。

 学校教育は1872年の明治に制度化された。そして第二次世界大戦の敗戦により新しい学校教育制度となった。1948年の学校教育法により市町村が設置する小中学校に今まで配置していなかった事務職員を国庫負担で配置することが決められたのだ。そして2017年地教行法により共同学校事務室の設置が可能ということが決められた。この義務教育系公立学校に置かれる事務職員を法体系の変遷によって次のように区分してみた。

【Ver.0.0】1872年学制発布で尋常小学校現場に事務職員が配置されていない状態

【Ver.1.0】1948年小・中学校現場に事務職員の国庫負担配置が決められた状態

【Ver.2.0】2017年共同学校事務室(事務職員組織)を作ってもいいという状態

 1948年から事務職員が配置され、義務教育の水準の維持と平準化を目指す国庫負担教職員となってからは、当時の文部省の定数改善計画により、全国的に事務職員数が増え続けた。そして各都道府県は自分の県の実情に合った学校事務職員の配置を行うローカル・アップデートが行われた。長野県教委は長野県の教育状況を考慮して、法令の範疇の中で様々な学校事務とそれを担う学校事務職員の改善が行われていった。具体的に言えば、学校事務職員の全校配置を優先した。どんな小さな学校にも子どもたちがいて、教育が営まれている。そしてそこには学校事務がある。その仕事をする学校事務職員を配置するということだ。

 配置が始まった当時の長野県の学校事務職員たちは、

「学校事務」の経営学的な研究は「県や地区の学校事務研究会」で行い、

「学校事務職員」の待遇改善は労働組合である「教職員組合事務職員部」で行う、

というように、事務研究会と労働組合で内容を分担していた。そしてそういった取り組みのおかげで、長野県ならではの学校事務の発展があった。

⑪2017年の地教行法の改正により「学校事務のバージョンアップ」がなされた、と私が考えている理由は次の通りだ。

従来の「単数配置型学校事務」から「フレキシブルな複数配置型学校事務」を国が法的に公認したからだ。それは昭和時代の高度経済成長と共に、児童生徒数の増加による「大きな学校」という発想による義務教育に対する質と量の転換点を迎え、平成時代以降の経済低成長や児童生徒数の減少による「小さな学校」にどのように対応するかという「学校事務の大きな解決方法(実験)」を提示したのではないかと思うからだ。

⑫2020年を迎え、日本中で少子高齢化に向かうという社会情勢の中だ。この2017年の法改正をきっかけに、「学校事務の仕事の仕方」を学校事務職員自身が新しい考え方に徐々にアップデートし、最後にバージョンアップする必要があるだろうと思う。

⑬ブログの内容は、「学校組織マネジメント」から、私なりの「学校事務の経営学的な考え方」「新人学校事務職員の人材育成の仕方」「共同学校事務室というツールの使い方」などを書いていくつもりだ。徐々にアップデートできればうれしい。■