この4時限目は、「職業アイデンティティ」が形成されずに仕事を続ける悩みについて書いてみた。自分は学校で何をしているのか、まず混沌とした現状から自分を発見してみたい。
①私は学校事務職員として採用され、初めての職場である〇〇中学校でなんとか勤めることができた。採用1年目は精神的に苦しかった。地図のない旅の様だった。
新規採用の4月1日に人事異動で赴任した他の教員と一緒に、校長室で着任式を行った。学校事務という仕事が何だかよくわからずに、とりあえず前任者が立ててくれた4月のスケジュールに沿って(前任者のベテラン学校事務職員の方は不安だったと思う。何も知らない学生上がりの私を心配してくれてスケジュールを作ってくれたのだ)、昨年の書類を参考に提出書類を作成した。研修もないのに我ながらよくやったと思う。自分をほめたい。教育事務所や教育委員会の指摘があった書類の記入間違いは多々あったが、修正をしながらの仕事だった。無我夢中だった。4月の給料を自分で自分に支給してうれしかったことを覚えている。まさか、自分で自分に給料を支給するとは思わなかったが。
②1980年代(昭和)まで長野県の公務員の給料は現金支給だった。すでに民間会社では給与の口座振り込みが一般化してきていた。学校事務職員は「給与事務担当者」でもあったので、銀行から教職員給与を全額現金で引き出して(当時の資金前渡職員は学校長だった)、持ち帰った学校で給与支給袋に現金を詰めて、教職員に支給した。教職員30名規模の学校で毎月1000万円前後、ボーナス月だと2000万3000万という金額だった。当時、他県で給与支給日に現金が狙われるという事件が年に1回くらいあってテレビニュースになった。90年代(平成)になって全員全額給与振り込みとなり、現金管理の不安からは解放された。
③怒涛のような4月が終わり、5月の連休になり実家へ帰った。心身ともリラックスできる時間だ。だが、4月に就職した緊張と訳が分からん仕事に精力を使い果たし、燃え尽き症候群のようになってしまった。「この仕事、面白いんか?」自問自答する。「新人をほっておく、こんな職場あるか?」「転職を考えたほうがいいのか?」頭の中を疑問がぐるぐるめぐる。5月末に県教委から通知が来た。小中学校の県費事務職員の新任者研修会を行うという。今頃かい!とツッコミをいれる。
④研修の内容は教育法令中心で公務員の基礎知識のようなものだった。宿泊研修だったので同期の仲間づくりもあった。親しくなった同期もいたが、スマートホンも無い時代。メールアドレス交換などあるはずもなく、県下各地でそれぞれみんな、がんばって仕事してることだけはわかった。
⑤石の上にも三年、というではないか(昭和の考え方ですねえ)。とりあえず3年間仕事してみて、どうすればこの仕事が面白くなるのか考えてみよう。それでもだめなら転職もありだろう。面白く楽しくするには、どこからどのように、この「学校事務」という仕事を分析すればよいのか?自称理系事務職員の私は考えた。
⑥長野県の学校事務研究会は優秀な先輩たちがおり、『学校事務指導書』というマニュアル本がある。このマニュアル本は当時「加除式」になっており(現在はデジタル化されさらにクラウド化されている)、しかも県教委の監修をうけているという代物だ。
このマニュアル本には単位事務毎に職務(仕事)が分類されている。300項目もあるのだ。それを眺めると学校事務職員の仕事は「多品種少量生産」だということが分かる。しかし、新人学校事務職員にとって、このマニュアル本がいまいち分かりにくかった。それは小・中学校で作成する書類が、どの行政機関からどの法律を根拠にこの仕事が発生しているのか、という分類がなされていなかったのだ。先輩達には「学校事務」が自明のことだったので、分類の発想が経営ビジネス的(ヒト・モノ・カネ・情報)だったのだ。マニュアル本の分類は「1文書、2人事、3経理、4管財、5渉外」だった。
⑦新人学校事務職員(ひょっとして理解していなかったのは私だけだったのか)には、とりあえず書類の提出先ごとの分類が必要だと考えてみた。提出先ごとに法令があるからだ。私はまず学校事務を理解するために発生源別の書類作成が優先するとし、次のようにノートに書いて分類してみた。
【優秀な先輩たちが作った学校事務指導書の分類(経営学的な分類)】
1-総務(情報)
2-人事(ヒト)
3-経理(カネ)
4-管財(モノ)
【当時の私の学校事務の発生源別分類】
1-県教委の仕事ーヒト(教職員の人事・給与・旅費・福利厚生)
2-市(町・村)教委の仕事ーモノ・カネ・情報(学籍・教科書・就学援助・給食費・学校徴収金・学校予算・学校文書・教材備品・学校施設)
県の仕事と市町村の仕事の二つがあるということはわかってはいたけど、結局はこういうことだったんだ、ということが分かった。(なんやそれ)
⑧それはつまり、地域の子どもたちが通ってくる小中学校の箱モノは市町村が作って(学校教育法)、子どもたちを教える教員などの人材は県が雇用する(地教行法)という構造になっているのだ。大学で教育関係法令など勉強してきていないから、そこらへんの仕組みがよくわかっていなかった。
教員という人材は県が採用して配置する。なるほど。学校事務職員も同じように県が採用して配置する。ええっ、私たちは県の派遣職員か。この「県の派遣職員か」という考え方は、「学校事務」を考える時に重要な、しかも危ない考え方だ。このことはまた後で書きたい。
⑨県教委の仕事は、人事異動で県内の学校を転任しても変わらないが、市教委の仕事は市町村ごとに法令が若干違う。人事異動したら、その市町村の法令を勉強する必要がある。例えば、学校予算の具体的な支出事務にあたっては、市町村の財務処理電算システムが違う。コンピュータ操作方法、作成する書類の様式などが違うのだ。人事異動のたびに数時間の研修を受けることになる(研修がない場合が多いので、ひどいと思う)。
長野県の県費学校事務職員は3年から4年おきに人事異動しているので異動した最初の年はしんどい。市町村ごとの財務電算処理の様式を統一してほしいと思った。大変だけど財務電算になって楽になったこともある。それは80年代はまだ完全に財務電算化されていない自治体もあって、4枚複写の支出負担行為決議票なるものを全部手書きしていたのだ。平均毎月50枚で年間600枚は最低書いていた。腱鞘炎になるくらい。私は筆圧が高かったのだ。
⑩さて、仕事の分類はできても、その仕事は何のためにしているのか?これは当たり前すぎて誰も教えてくれなかった。学校事務職員は何のために学校にいるのか?につながる重要なモチベーションだ。ただ単に事務処理するだけに事務職員を雇っているのか?10年も20年も30年も事務処理だけの仕事か?違うだろう。それだったら正規雇用は必要ない。もしそれだけが正規職員の仕事だとしたらちょっと悲しい。事務職員をバカにしていないか。小中学校専任の事務職員を配置するということは、そこに何か意味があるだろう。
⑪その学校事務職が存在する根拠を法律でたどっていくと、やっぱり日本国憲法にたどりつく。
日本国憲法26条(教育)
26条の1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。(だれもが教育を受ける権利)
26条の2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。(保護者の就学義務と義務教育の無償)
学校事務職員はざっくり言えば「子どもの教育」をサポートする仕事だ。当時の先輩によく言われたのは「学校事務職員は教育条件の整備のためにいる」のだと。
「教育条件」奥が深い。こういったことを知れば知るほど、ただのんきに、就職難の時代、公務員に就職できてラッキー、というわけにいかなくなる。事務職員といえども教育関係者になってしまったのだ。教育関係という仕事に対する尊敬の念と、自己に課する職業倫理が必要となったのだ。それをどうやって身に付けるのか?わからない。
⑫学校事務の法則性?のようなものを探そう。何かあるはずだ。「こういう学校事務をすれば、教育効果が上がる。」そんな学校事務はあるのか?
「教員」や「学校事務職員」は県の派遣職員か?ということについて、経験を積むと次のように考えるようになった。採用された頃は、「県の派遣職員」的な意識だった。しかし、学校事務の本質が『義務教育費国庫負担法』に書かれているように「義務教育の水準の維持向上」を果たす役割を持っている。義務教育の小中学校は市町村で設置し地域の子どもたちの教育に責任を持っている。教職員はその大事な責任を負っているのだ。
総合的な教育計画と教育条件整備は学校設置の「市町村教育委員会」に責任があるが、学校現場の生きた教育条件整備を担っているのは「学校事務職員」だ。本来なら県費でなく市町村役所の職員が小中学校で勤務するのが普通だろう。でもそれだと、市役所内での人事異動で教育現場についてよく理解できない職員、例えば上下水道係担当だった職員が教育委員会へ配置される場合もある。ましてや、教育委員会事務局でなく学校へ配置されるとなると、学校事務のことよくわからんけど、とりあえず人事異動で他の部署に異動するまで何事もなく仕事を流していこう、みたいな職員が多くなるかもしれない。教育にしっかりリンクできる学校現場の教育条件整備についてよく理解できる職員がいてこそ、学校教育も効率よく運営でき、子どもたちの教育に寄与できるはずだ。だから国はわざわざ学校専任の事務職員を配置するよう法律を作り財源を確保したはずだ。
「学校事務職員」は教員免許を持たない職員ではあるが、「小中学校専任の事務職員」として人材育成をすれば、全国的な義務教育の水準の維持向上が期待できるはずだ。「教育の現場感覚」を磨く必要があるのだ。よく、教員と事務職員は「学校の両輪」だと言われた。教育を良くするために、両方が必要だと。
⑬「学校事務職員」の採用試験は国家公務員の採用形態と同じだ。オールラウンドな一般行政職員を採用するのではなく、小中学校事務を専門とする教育行政職員の採用なのだ(学校事務職員採用試験)。だとするならば、採用した学校事務職員を育成するプログラムが必要だ。
国家公務員は省庁ごとに採用される。文部科学省の職員は「教育行政」を専門とする職員集団だ。「学校事務職員」も市町村ごとの差(財政規模による給与格差など)があることは望ましくないため、県単位で採用して市町村へ配置する。これらは「市町村立学校職員給与負担法」などに書かれている内容だ。それは『義教法』の義務教育の水準の維持向上というやつだ。
⑭でもそう認識できるまで時間がかかった。「県の派遣職員」という考え方は危険だと書いた。それは「お上(おかみ)思考」だからだ。「上から目線」の考え方だ。「県費職員」だから「市町村費職員よりも上」といった思いあがった考え方につながる。
都会の大規模市と違って、長野県は都市部の大規模学校から山間へき地の小規模校まで、学校の規模、市町村の財政規模と大きく違う。「学校事務職員」はそれら教育環境等諸条件の違いを理解し、地域の子どもや保護者のために働き、憲法26条の遵守ができるように考えて仕事をするために、学校にいるのだと考える。ちがうだろうか。■