アップデートする学校事務職員

2050年学校事務職員への伝言

21時限目:アップデートする学校事務職員:知識創造スパイラル

①いよいよ21時限目となってしまった。このブログもそろそろ終わりにしようと考えている。現職の学校事務職員ではないし、ましてや学者や研究者でもないので、ここらあたりで終わりにするのがいいように思う。

②21時限目のテーマは「知識創造スパイラル」だ。

 人工知能問題が出たときに、学校事務職員という仕事は無くなるだろう、と予想された。それでなくても、少子高齢化で、子どもは減っており、高齢者も寿命を全うして自然減となっていく。人口は減り続け、経済も縮小社会へと向かうのだろう。学校数(学級数で算定されるが)に基づく学校事務職員数は、学校が統廃合になれば減少することは容易に想像できる。では人工知能問題でも、教員は残る仕事なのか?そもそも、学校は残るのか?ネット社会になって、本物の教員がいなくても、アバターのようなバーチャル教員がディスプレイの向こうで授業することも可能になっている。子どもを学校という施設に集めなくても知識の伝授という教育は可能だ。そうすれば「いじめ」もなくなる。「不登校」という考え方さえも無くなってしまうのだ。SF的には可能な社会に向かっている。人間という生物は集団生活をする動物だ。教育という営みはネット社会の中にあるのではなく、リアルな人間集団の中で大きな効果を発揮させることが可能なんだろうと、個人的に思う。

③さて、話は「知識創造スパイラル」だ。私がこのことを知ったのは1998年。一橋大学野中郁次郎教授が経営学の中で提案されたアイデアだ。(すごいアイデアに感動した)。野中教授は、日本的経営が何故日本企業の発展に役立ってきたのかを研究してきた。それは、個人のアイデアや知識経験が、グループで話し合われて大きな知識となり、それが大きな組織の知識となって蓄積され、そこにまた個人のアイデアが共有化されてという正の上昇スパイラルがあることを明らかにされたのだ。

④知識は「形式知」と「暗黙知」に分けられる。「形式知」はマニュアルなどだ。例えば、長野県の学校事務研究で作成された「事務指導書」などだ。これは誰が読んでも平等に情報として共有できる。ところが「暗黙知」は言語や文章では表現が難しい個人的なノウハウのようなものだ。

⑤学校事務で考えてみよう。仕事の分類や書類の書き方や法令などの「情報」と学校事務職員がそれぞれの学校で現場に合わせて行ってきた「知識」がある。「知識(形式知)」は事務研などで統合されて文字化されてきたが「知識(暗黙知)」は文字化されてきていない。この「暗黙知」は「暗黙知」を持つ人から学ぶことになる。

⑥野中教授は「形式知」と「暗黙知」の相互作用が組織を発展させるとし、それは次のようなスパイラルだとした。

1「共同化」個人の「暗黙知」を他者が共有していく(先輩と後輩)

2「表出化」この「暗黙知」から「形式知」に変換していく(グループ全体)

3「連結化」今度は「形式知」から「形式知」を作る(組織)

4「内面化」この組織の「形式知」を個人の「暗黙知」にする。1へ戻る

⑦知識や知恵は、人から人へ、集団から集団へ、が集団生活する人間の学びの基本なんだろう。「共同学校事務室」が目指すのはこの「知識創造スパイラル」なんだと思う。

⑧学校で、一人配置の学校事務職員として、ある時悩んだ。「こういった時に、あの先輩ならどうするのだろうか」と思ったことがある。相談する相手がいないのだ。経験年数に関係なく、「学校に一人しかいないこと」に学校事務職員の大きな弱点があることを知った。しかし、やがてそのことに慣れてしまい、誰のための仕事なのかも忘れてしまい、自分の都合だけを優先した学校事務の日々があったことは忘れない。私の闇の歴史だ。■

 

20時限目:アップデートする学校事務職員:ジョブ型公務員?と「ゆでガエル問題」

①20時限目は、2時限目にも書いた「学校事務職員」という職業について、もう少し違う角度から書いてみる。現在の長野県の「学校事務職員」の採用方法と年齢構成も加味して書いてみた。

②15時限目で「大学生に学校事務をプレゼン」したことを書いた。

 教育学部の学生に「学校事務」と「学校事務職員」のことについて講義したのだが、「学校教育」というシステムに必要な職種「教員」という職業と同じように、「学校事務職員」という職業も必要となったことを話した。そして「学校教育」に「学校事務」という分野から私たちが関わっていることを話した。

③学校教育法に学校に必要とされる必置職員が明示されている。

 国が責任もって配置する職員は義務教育費国庫負担法で人件費も補助することになっている。つまり教育職員と事務職員はセットなのだ。そして、これら職員は都道府県単位で雇用して、県が市町村へ人的配置することになっている。

④教育職員は教特法により県教委が「選考試験」を行い、事務職員は県人事委員会が「競争試験」を行う。教育職員は教員免許が必要な資格職業だが、事務職員は資格を必要としないからだ。長野県人事委員会が行う「市町村立小中学校事務職員採用試験」というのが小中学校専任の事務職員採用試験の名称だ。学校事務職員は採用されたら教育現場で退職するまで仕事をする。だから、教育現場に配置する以上、教育に関する何らかの知識は必要となる。しかし2時限目で書いたように、採用後の学校事務職員になるための研修が無い。何度も言うが、これはおかしい。採用試験は県人事委員会で採用は県教育委員会だから、採用した県教育委員会が学校事務職員としてちゃんと仕事ができるように研修する必要がある。事務職員だから事務作業だけすればいい、という発想は悲しくないか。教育に関する知識は必要ないと考えているのかもしれない。

⑤小中学校専任の事務職員を正規採用したんだから、県教委に学校事務職員育成プランを作成してほしい。ここんとこはこのブログで何回も書いた。2022年に専門誌「学校事務」で政令指定都市横浜市が学校事務職員の研修内容に教育関係の講座を設定したという記事を読んだ。教員免許を持つ学校事務職員もいるが、全国的には多くないだろう。事務職員が授業をするわけではないので教員免許は必要ないが、子どもの見方や対応の仕方など、子どもと関わることが多いので、そういった分野の研修は必須だと思う。

⑥さて、話がそれてしまったかもしれない。長野県における学校事務職員採用の話だ。長野県は県職員も小中学校事務職員も採用年齢を35歳まで引き上げている。

県職員は初級職18歳~21歳、上級職22才~35歳と分けているが、

小中学校事務職18歳~35歳と一括になっている。

長野県の教員選考は20歳~59歳だ。(実際58歳の新規採用者がいた)

多様化した時代となり、社会経験のある公務員の雇用も必要だし、教育現場も変化が求められている。  

⑦日本社会の雇用は以前「日本型雇用」として、新卒一括採用で終身雇用、年功序列賃金というのが普通だった。つまり、雇用には「正規雇用」しかなかった。しかし2000年以降の新自由主義経済による雇用の自由化で、「非正規雇用」が増え、欧米型の契約雇用や労働力の流動性を働きかける転職サイトなどの雇用が目立ってきた。公務員もデジタル専門職のような職種も出てきている。

⑧雇用形態を「ジョブ型」「メンバーシップ型」と考えることが話題になった。

 日本企業の多くは今まで「メンバーシップ型」だった。これは仕事を特定せず、様々な仕事を経験して専門ではないオールラウンドな職員を育成して、年功序列を基本としてきたシステムだ。

 この雇用システムの中に「ジョブ型」というのが導入されてきている。「ジョブ型」とは特定の仕事を行う資格職のようなものだ。例えば、臨時教員は教員免許という資格を持っているので欠員の生じた学校で雇用される。そういったイメージだ。欧米資本の企業は最初からこの雇用システムが多く(資格は必要としないが、「自分には何ができる」というアピールが必要)、日本企業でのこの雇用方法は過渡期だ。

⑨だとしたら、「学校事務職員」は「ジョブ型」?と思えなくもないとも考えた。

 「学校事務職員」に専門性はあるのか?専門性を考えると、私は「学校事務職員に、もっと教育関連の研修を」と考えてきた。「教育」と「行政」のハイブリッド職種が「学校事務職員」ではないかと考えてみた。

⑩現職中に私は地区の事務研で「学校予算と教育課程」をじょうずにつなぐ研究をみんなで行ってきた。そういった研究の先に「教育行政職」としての専門性が培かわれてくるのだと思った。学校事務職員は、教育現場で教員とは違う視点でよりリアルな学校教育現場を見ているわけだし、自分の勤務する学校だけにこだわらず、地域の他の学校なども含めて大きな視点からこの地域の教育を考えることができるのだと。思うのだが。

⑪「教育行政職」という専門職員。これだと、文部科学省の職員も同じ、だ。

 長野県の学校事務職員の研究会などで、「私たちは教育行政職だ」というと「行政」という言葉にアレルギーを持つ学校事務職員がいた。「行政」は何か敵のように勘違いしているのだ。学校などの教育機関も行政機関の一つだし、そこで働く公務員は大きく行政職員というカテゴリーなのだが。その方の言われるには「学校事務職員は学校事務職員、教育に寄り添う職員」ということらしい。私には意味がわからない。

⑫さて、仮に「学校事務職」を「ジョブ型公務員」にしようとするなら、専門性を何かで担保しなければならない。それはやっぱり何か公的な資格を必要とするだろう。愛知教育大学で進めている資格や社会教育的な資格、あるいは教員免許も含めて、ということになる。それだと、1960年代に巻き起こった学校事務員の教育職化「事務教諭」論争を思い出させる。この「ジョブ型」やっぱ、何か違うよなあ。「学校事務職員」は、専門職にあてはまらないということか。

⑬話しを変えてみる。経営学の話題で「ゆでガエル問題」というのがある。

 それは、二つのお鍋を用意して火にかける。一つは沸騰したお湯、もう一つはぬるま湯。ここにカエルを入れる。沸騰したお湯に入れられたカエルはびっくりしてお鍋から飛び出す。ぬるま湯のカエルは、じっとしているが、やがてぬるま湯が沸騰してしまい、飛び出すタイミングを失ってそのままゆでガエルになってしまう、という話しだ。この話は、社会環境の変化が急激だと多くの人が気づいて何か対策を考えるが、変化が緩慢だと対策を考えるのが後手後手になって結局何もできなかった、という例えなのだ。学校事務の現場はどうだろうか?

⑭今の仕事、湯加減はどうですか?熱いですか?ぬるま湯ですか?

 長野県の小中学校事務職員の年齢構成を見たときに、団塊の世代が退職し、団塊ジュニア世代の退職がこの10年で始まる。長野県の小中学校事務職員の配置数のピークは1990年代の600人だったものが、2020年代になって500人程度になっている。少子高齢化で学校の統廃合も進んでいる。ベテラン事務職員の皆さんとこれから採用されるデジタルネイティブの事務職員の皆さんと、新しい長野県の学校事務を考えてみる時期になってきたように思う。■ 

19時限目:アップデートする学校事務職員:学校組織と共同学校事務室

 19時限目になりました。今回は「学校組織」について考えてみたい。

経営学の「組織論」はどちらかというと「企業組織」を中心に書かれている。

  40代になって経営学を自主勉強するようになって、いろいろな本を読んでみた。学校をもっとビジネス的にスマートにならないのだろうか、というのが発端だ。そして一人の学校事務職員が学校の中で何ができるのだろうか、という解答を求めてのことだった。その時に思ったのは「学校組織を企業組織と同じように考えるのはどうなのかなあ」ということだった。

 2000年代に入って、中教審答申から「学校にもっとマネジメントを」と言われて学校長から「学校組織マネジメント」研修が始まった。その頃、私は当初違和感を感じた。小中学校だって「教育目標」を持って教育活動を行ってきた。人事異動で配置された教職員を生かし、その学校その学校の学校組織を作ってきた。しかし、企業からみればそれは「組織」ではなく烏合の「集団」に見えたのだろう。

 「組織」は共通の目標を達成するために構成員がそれぞれに与えられた業務を行う集団、というような意味だ。「学校」も教育という目標に全員が向かうのだから同じじゃないのか。戦後、学校教育法ができ、全国の学校はその条文に書かれた「学校教育目標」を遵守してきた(つまり教育目標を持って全教職員で教育活動を行ってきた)のだ。それは企業と違って「結果」が現れにくいからかもしれない。私立学校なら「〇〇学校に何名進学」とか「運動部が〇〇大会で優勝」とか「結果」を学校経営に生かせるかもしれない。公立学校しかも小学校中学校でそれが必要なのだろうか。「一人ひとりの個性を大事に教育する」という目標は企業のように数値化し難い。

②「企業」組織を構成するメンバーは、厳格にタテ社会になっている。そして上位にいるメンバーは「権限(決裁権)」を持っている。そして何を行うか「計画」に基づいて「職務明細」が明らかにされている。経営学で、タテ社会組織はどんな組織も「命令する」「命令される」という関係があるのだ。

③「公立小中学校」はどうだろうか?「校長という命令する権限を持つ人が一人」いるが、学校の構成メンバー同士による「命令する・される関係」はない。大学や高校の事務局・事務室は官僚型社会だし、大学教員は教授を上位とするヒエラルキーになっている。小・中学校は「ナベブタ式組織」と言われた。つまり、つまみが校長でフタの部分が教職員(もちろん学校事務職員も施設管理員も含めて全教職員が平等)なのだ。実はこれはある意味「ネットワーク型の組織」ではないだろうか。年齢や経験年数による先輩後輩はあっても、「命令する・される関係」ではなく、教職員一人一人が自律していると考えられないだろうか。

 学校によくある「〇〇主任」は上司じゃないのか?って。担当の責任者ではあっても「決定権(権限)」はない。職員会議という合議制の会議が事実上の決定機関のようになっている。法令上は学校長の諮問機関のようになっているが現実は違うように思う。ある人たちからみると「それは組織ではない」と言う。

④学校事務職員の職名について考えてみよう。公立学校の事務職員は行政職員として一応タテ社会組織の一員として組み込まれている。しかし、小中学校に一人しかいない事務職員にタテもヨコもない。権限はないが自律した事務職員としてある。事務職員が複数配置の高校には事務長(行政サイドの管理職)を置くことが学校教育法で決められている。事務長は権限を持っている。

 法令上、小中学校にも事務長を置くこともできる。実際にそれを行うことができるのは県教委ではなく、市町村教育委員会だ。その小中学校に「事務長職が必要だ」とすれば置くし、必要なければ置かない。置くとなると「職務権限」を決めなければならない。学校長の職務権限は「学校管理規則」や「服務規程」そして「市町村の財務規則」で決められている。そこからどのような職務権限を事務職員に移譲できるというのだろうか。この小中学校での事務長という職は、その在籍した市町村での職なので、事務職員個人につけているものではなく、人事異動で他の市町村の学校へ赴任すれば、事務長でなくなる。

⑤私の退職時の職名は「専門幹」という名称だった。行政の係長か課長補佐と言ったところだ。小中学校には部課制がないので、そういった役職名にはならない。行政職の職名は都道府県によって微妙に違うし、県教委の県費負担事務職員に対する考え方にも依存するのかもしれない。

 一般社会では「専門幹?それって何」という感覚だ。こういた職名はなじみがない。私は「せんもんかん」という音読みを利用して「学校事務専門官」と称していた。それだと一般社会的にも、どんな仕事をしているのか理解してもらえた。ちょっと権威主義的な上目線で好ましくないと考えたけど、一般人に説明する時に、私の仕事をイメージするのに役立った。学校事務を専門に行っている人、というイメージで。

⑥さて、話はそんなことではなく、「学校組織」についてだ。ナベブタ式組織を組織と呼べるのか?多くの教育学者や教育評論家たちが議論していた。学校現場にタテ型の組織が必要なのか?学校長に強いリーダーシップが必要だし、校長を支えるスタッフが必要だという意見が70年代に生まれていた。これは労働組合対策でもあった。

 もともと教員には高い職業倫理観が求められているし、実際多くの教員が高い職業倫理を持っていた。多少の個性は我慢しても、先輩教員から教育技術と教育哲学を後輩の教員は試行錯誤しながら学んでいったのだ。そういった自律的な組織として考えれば、「それも組織でしょ」という学者もいたし、「いいや、それは組織とはいえない」という学者もいた。このころの組織は「自律的」という言葉を嫌っていたのだ。

 学校に行政的なタテ社会組織を導入するために、1970年代の教頭法制化、主任制度などを経て、2000年以降、副校長や主幹教諭など新たな職名が教員の中で作られていった。こうして学校は形の上から「行政的な学校組織」に作られていくことになった。

 学校という現場が昔から持っていた教育観「どの子も健やかに育てよう」という穏やかな公立学校から、私立学校のように看板を掲げることが求められるような時代になった。「地域の教育課題を発見し、特色ある学校目標にし、それで学校を経営しよう。」「いっそ学区も自由化にして、保護者が通わせたい学校に作り変えてください。」という社会の見えない圧力がかかってきた。それは不登校問題が明らかとなって「学校へノー」という言葉を言える「教育改革を願う」保護者が増えてきたせいでもある。

⑦国の教育費は国家予算の1割もなく、教職員はオーバーワークで疲弊しているのだ。教育費は人件費とイコールだ。様々な教育課題に対応するにはまず人を増やすことだと言いたい。学級定員数を減らし、教員を増やす。学校長を支える学校事務組織を作るために学校事務職員を増やす。公立小中学校にも高校並みの事務職員数を配置して、教員が行っている事務作業を請け負うことも可能だ。国だけでなく、県や市町村も財政的に(人的配置含めて)支援する必要があるのだ。だから現在、教職員のオーバーワーク問題が顕在化してきているのだと思う。

⑧2010年代、長野県事研で「学校組織マネジメント 事務職員版」の研究を行った。私はその研究委員に選ばれた。研究委員会は、その学校組織マネジメントを学校事務職員用に翻訳して一般会員に伝わるような内容を考えた。当時のトレンドは「ドラッカーさん」だ。ドラッカー経営学の基本は「人間の幸せ」にある。ミッション(使命)を明確にし、それを果たす、ということだという。学校事務職員のミッションは憲法26条に書いてある。「学校事務のマネジメント」の方法はいろいろあり、研究委員会でハウツーを情報提供したつもりだ。

⑨さて、ミッションを果たす学校事務職員として、学校目標をどのように支援するか。でもこういったことは、学校組織マネジメントとわざわざ言われなくても、全教職員の目標としてそれぞれがミッションを全うしてきたはずだ。全うできないとしたら、社会の多様化によって教職員が多忙化し、自分のミッション(使命)を見失しない、そして、目の前の仕事をこなすことだけが自分のミッションのように勘違いしてしまったことが、様々なトラブルの原因になってしまったのかもしれない。

⑩「教職員の働き方改革」が教職員側からの投げかけによって行政府が考えざるを得なくなった今日、学校現場が抱え込んでしまった仕事をどのように手放していくか、知恵が求められている。「共同学校事務室」は、その地域の学校事務職員を兼務辞令によって流動化させることができるシステムだ。例えばその地域に4校の小中学校があり、4人の学校事務職員がいれば、4人で4校の学校事務を回すことが可能だし、学校現場が抱えている課題の解決方法を学校事務職員サイドから提案できるかもしれない。もちろん、4人は辞令をもらった自分の本務校の学校事務的課題を解決することが優先される。その課題を4人で共有しアイデアを出し合うことが「共同学校事務室」のだいご味だ。A校で成功した事例をB校に合うようにカスタマイズする。C校の課題をみんなで考える。お互いがサポートし合える関係作りが必須だ。

⑪気をつけなければいけないことは、持続可能な「共同学校事務室」にするには、市町村単位で設置しないということだ。何故ならば、長野県の県費事務職員の人事異動は3年から4年で全県的に異動するからだ。現在少子化で学校の統廃合が進んでいる。場合によっては町村で小学校中学校1校ずつの2校という場合がある。ベテラン事務職員が教育委員会と協働で「共同学校事務室」を条例化したはいいけれど、ベテラン事務職員が異動してしまい、後任に新規採用者が配置される可能性もある。そうなると「共同学校事務室」の設置の意味や運営などが厳しいという状況になる。現在、「共同学校事務室」を実施している大町北安曇地区(大町市・池田町・松川村白馬村・小谷村)や塩尻東筑摩南部地区(塩尻市朝日村山形村)が行っているような教育委員会の連合体での「共同学校事務室」が理想だ。全国的にも無い組織形態だと思う。

⑫勘違いしてはいけないのは、「共同学校事務室」を作ることが目的ではなく、この共同学校事務室というツールを利用して地域の教育目標を実現させる、合わせて学校事務職員のミッション(使命)を全うさせることが目的なんだと思う。そういったことを含めた、学校事務職員側の組織マネジメント的戦略がないと、行政に利用され、しんどい「共同学校事務室」組織、重荷になる組織になってしまうことが予想されるので、常に何故(WHY)を問い続ける姿勢が求められる。

⑬「何故、共同学校事務室が必要なんですか?」これを明らかにすることが大事だ。これを明らかにすることができないなら、無理して作ることもない。「共同学校事務室」を作ること、そして運営していくことは大変でしんどく、ベテラン事務職員のリーダーシップが試される。

⑭2021年度(2022年1月)に大北事務研用に作成したスライド

「共同学校事務室のトリセツ」を参考にしていただければと思います。

2021年大北事務研「共同学校事務室のトリセツ(事務職員用)」スライド - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

 

18時限目:アップデートする学校事務職員:自主研究会「学校建築研究会」のこと

①1995年ごろ、学校事務職員のU君と友達になった。「友達の定義って何だ?」と言われると、「うーん。一緒に遊べる人のことかなあ」と答える。お互い知ってはいた。しかし地区が違うのでそれほど親しくもない状態だった。お互い県事研の役員になったことで、お互いのことが分かり距離が近くなった。それはお互いがアップルコンピュータマッキントッシュ利用者ということがわかったからだ。1995年はマイクロソフトのウインドウズが発売された年だ。しかしわれらはMac党だったのだ。私たちはその後、東京幕張メッセで行われた「アップルフェア」へ一緒に行く仲になった。

②U君は司書資格を持つ学校事務職員で、その発想と行動は、図書館的なのだ。学校事務の仕事が徹底した分類と活用・保管・保存なのだ。そして、当時私が興味を持っていた教育条件整備の中で、教育環境、特に校舎や施設などのハード部門に、同じように興味を持っていた。教室の引き戸は安全なのか、とか、学校のカギの分類保管はこれでいいのか、とか、学校建築の設計はこれでいいのか、とか話題になった。こういった話題は事務研でも組合事務職員部でも話されることはなかった。だから二人で「学校建築研究会」を作った。新しい学校が改築されたら見に行こう、とか、特色ある校舎があるみたいだから見に行こう、とか、興味関心のまま活動した。東京で関東大震災のあと、日本で初めて鉄筋コンクリートの小学校が建設されて現在も使われているらしいから、関東ブロック事務研の研究会の後に見に行こう、とか、そんな活動をしていた。

③校舎建築に興味のあった私は後日、「赴任してみたい中学校」に赴任することになった。おお~。これこそ神の思し召しだ~。興奮した。それは、東筑摩郡O村にあるT中学校だ。この学校の校舎は「建築学会賞」を受賞した校舎で、校舎の中心は情報センターという図書館が占めている。1975年ころの設計で当時としては、ぶっ飛んだ発想の校舎なのだ。生徒たちが情報センターの図書を活用し、コンピュータ室のパソコンを活用して、学習に必要な情報を手に入れる。情報センターの閲覧テーブルで、グループで話し合いや作業を行う。新しい教育の姿を求めて設計された校舎なのだ。活用は教員の力量に任せられることになる。

④このハード部分(施設など)が教育方法を決めるか、という話は9時限目「教育条件はハードウエアだけか」で書いた。そうなんだ。施設の活用は教員の発想と教育技術にかかっているのだ。残念ながら使いこなした教員は少ないようだ。調べ学習は次の教育課程の改正まで待たねばならなかった。

⑤私が赴任したのは2005年。すでに建築から30年が過ぎていた。しかし、その建築コンセプトは変わっていない。学校事務職員として、T中学校のハード部分の改造を予算化していった。まず、校舎の中心にある情報センターの書架だ。建築当時の書架はスチール書架でグラグラしている。地震でもあればドミノのように倒れていくだろう。これを木製書架に取り換えて地震が起きても転倒しないように床に固定した。情報センターの隣にある英語LL教室は利用されずコンピュータ室で英語教育が利用できるため、LL施設を全面撤去して、多目的教室に改装した。学校トイレは、施設管理員さんと共同作業で便器にナンバリングして、修繕等の利便性を図った。(生徒から何番の便器がおかしいと連絡されたら、故障した便器が分かるのですぐ対応できる)。普通教室が3階にあったため夏期は教室内が高温になったことから、扇風機は設置してあったが、根本的な解決にならなかった。それで、赴任2年目に、全普通教室の室温を記録してもらい、クーラーの設置が可能かどうか教育委員会と予算折衝した。赴任3年目も夏期の室温記録をデータとして予算折衝し、翌年クーラー設置の予算が通過した。2008年のことだ。私は異動となったため後任のO君にこのことを事務引継した。

⑥今度の私の異動先はM市K小学校という大規模校だ。このK小学校の普通教室には扇風機もなく、PTA会計で扇風機を買う(PTAが寄付するということらしい)、という信じられない場面に遭遇した。前任校とのこの落差に全身から力が抜けたのを覚えている。それから10年後、多くの学校でクーラーが設置されるようになった。

⑦これは小さな町村と大きな市の教育条件整備の差だと思う。それでも学校事務職員はできることを発見し、教育条件の整備を目指したいと思う。

⑧2009年に県事研の研修大会分科会でU君と発表した資料で、私が担当した部分をリンクしましたので、良かったら見てください。

2009年「新しい学校施設・設備(学校建築)の考え方について」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

 

17時限目:アップデートする学校事務職員:現職学校事務職員へプレゼンする

 17時限目は、長野県事研の秋の全県研修大会でのプレゼンについて書きます。

①2021年の新型コロナウイルスがまだ蔓延している時の研修大会です。当然というか、全員集合は難しいためオンラインによるビデオ講演でした。県事研から講演の依頼があり、専門家たちにお願いしていた全体講演に元事務職員の「えっ、私でいいのか?」というのが正直な気持ちでした。

②現職相手となると、新人からベテランまで経験年数の幅があり、そして学校事務職員の職業意識度も経験年数に関係なく幅がある。15時限目の大学生、16時限目の新人学校事務職員に行ったプレゼンはそれなりに焦点を絞りやすかった。それを考えると、現職600人相手に「何を伝えたいか」を決めないと話が散漫になってしまう恐れがあります。

③この講演はすでに退職している私の「学校事務職員としての最後の仕事」なのか?と思いました。定年退職したにもかかわらず、ウジウジと「学校事務」に関わり続けている私。そんなに私の仕事は不完全燃焼だったのか?学校での仕事はそれなりに完結したはずだ。事務研にも組合事務職員部にもそれなりの貢献をしたと思いたい。それでも不完全燃焼なのか?そうやって自問自答を繰り返すうちに、これは「DNAを残したい」という生物学的な本能ではないのか?と思うようになった。

④「アイデンティティ概念」を提唱したアメリカの心理学者・精神分析学者 E・H・エリクソン の心理発達理論の第7段階でいうと、第7段階(壮年期)40才~65才は次世代を育てる世代で、そのことによりアイデンティティを再確立させる世代だという。それがない場合は自己満足や自己陶酔に陥りアイデンティティクライシスになるという。私は仕事で「次世代を育てていない」ので、欲求不満だったのかもしれない。確かに。部下がいるわけでもなく、事務研でも組合事務職員部でも、好きなことを言ったり書いたりしてきた。自己満足の世界だったと思う。さて、そんな個人的なことはどうでもいい。全体講演の見取り図を考えよう。

⑤理科系学校事務職員としてできるだけ「学校事務」を科学的に考えてみたい。先輩事務職員たちが築いてきた「長野県の学校事務研究」がある。そして自由な個人研究を許してくれた組合事務職員部がある。私は組合の教育研究集会で自分の実践と個人的な屁理屈のレポートを毎年発表し続けてきた。それを広い心で聞いてくれた学校事務職員の仲間がいたことを思い出した。(2005年の教研集会松塩筑支部で『市町村合併と学校事務の共同実施』という現状分析レポートを発表し、これから学校事務の共同実施が必要になることを書いた。当時、長野県では共同実施はタブーだった。変なこと考える奴だと思われていたと思う。)

⑥長野県の学校事務を時間軸と空間軸で考えてみよう。そう思った。

 時間軸はもちろん長野県の小中学校に事務職員が配置されてから現在までとこれからの未来について。空間軸は「学校という点での学校事務」と「共同学校事務室という面での学校事務」のことだ。プレゼンの題は「持続可能な学校事務とは何か ー2050年の長野県の学校事務」とした。新人学校事務職員たちが30年後に働いているであろう学校事務の世界と、小中学校事務職員という制度がおそらく続いている、というのを想定してみた。内容は次のとおりだ。新採学校事務職員のプレゼンで作ったパワーポイントを再利用しようと考えていたが、ぜんぜん違うものになった。

 

⑦「持続可能な学校事務とは何か ー2050年の長野県の学校事務」(90分)

1はじめに 

・講演テーマ:学校事務を「時間軸」と「空間軸」で考える

・ワークショップ:子どもたちとのコミュニケーションの方法例(パンダの絵)

2学校事務の現在

・M大学での講義から(実は子どもたちの記憶に残る学校事務職員の仕事)

・職業アイデンティティ(事務職員の役割と憲法26条)

・必読図書の紹介3冊

 学事出版『新・教育の制度と経営(三訂版)』

 有斐閣『教育格差の社会学

 岩波ジュニア新書『正しいパンツのたたみ方』

3学校事務の過去

・顧客の発見(「研究基本要領」から「組織マネジメント」へ)

形式知暗黙知(学習する事務研ブロック組織とOJT研修の必要性)

4学校事務の未来

少子化時代の学校(学校事務職員も地域の教育を考える時代に)

・仕事をシエアする(「一人でする仕事」と「みんなでする仕事」)

5おわりに(学校事務の空間)

・持続可能な学校事務とは何か(社会が変わる、共同学校事務室を考える)

・未来に種を蒔く(「研究基本要領」から50年、次のビジョンを)

 

⑧このプレゼンは、最初ビデオ録画したものをオンライン配信するということで、県事研の研修部長さんの学校を使用してビデオカメラの前で夏休みに録画された。しかし、私が話す映像を90分も見せられてはさすがに嫌だろうし、説明に使用するスライドも、うまくいかないので、研修部長さんにはお手数をおかけしお世話になったがこの録画は未使用となった。お蔵入りとさせていただいたのだ。

⑨結局、私は自宅でパワーポイントで作成したスライドを基本に、大きな項目の所で顔を出すことにして、それ以外は講演内容スライドごとに音声だけを載せることにした。完成したパワーポイントを研修部長さんに渡し、研修部長さんはチェックして、ユーチューブに期間限定で事務研会員のみに公開した。

⑩この講演の評価は私にはわからない。果たしてみんなの参考になったのか。後日、会員の感想の声をいただいたが、それは6時限目「正規分布曲線分析」で書いたように、この講演を観た会員の15%の好意的な声だと考えている。当然、その反対の15%の声があるはずだ。その声が聞きたいというのが正直なところだ。講演の中で事務研や学校事務職員の皆さんに様々な提案をしている。議論を巻き起こしてほしい。私なりの議論の種を蒔いたつもりだ。

その時のスライドはこちら

2021年長野県事務研 研修大会講演スライド - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

16時限目:アップデートする学校事務職員:新採学校事務職員へプレゼンする

 16時限目は、学校事務職員に採用された新人へのプレゼンです。

①長野県の小中学校事務職員は採用されると大規模校県費2人校へ赴任します。ここで1年間先輩事務職員からOJTを受けます。先輩事務職員から仕事の仕方や心構えなどを実務をとおして学んでいきます。

②2020年、県教委の新規採用事務職員の「現任1部研修」という新採者研修で「学校事務職員の役割」について話してほしいと依頼を受けました。今回はその時のプレゼンの話しです。

③実は、この「現任1部」研修会について、私は県教委に手紙を出しました。「M大学で学生に学校事務の講義をしている。このM大学の講義の内容を新規採用者にも話したほうが良いのでは、と現場の学校事務職員から助言をもらったので、県教委に可能かどうかお聞きしたい。」という手紙です。

④私は、2018年、M大学での講義内容が適正なのかを確認するために、新規採用2年目の事務職員が多い木曽事務研へ「研修会で話すことは可能か」打診してみました。冬期研修会で話してほしいという回答をいただき、M大学での学校事務の講義を木曽地区の現職事務職員にしたのです。

⑤その時の感想で、「この話は学校事務職員になったときに、あるいは学校事務職員を2年か3年経験したときに聞くと、よく理解できる」と言われました。確かに、「学校事務」というものが可視化できない学生には遠い話しかもしれないと思いました。

⑥2019年に須坂の事務研から「学校事務職員のプレゼンの技術ー事務室からの情報発信」について話してほしいという依頼があったので、M大学での講義を含めて話しました。退職した者からすると現場の事務職員からの感想や助言は参考になります。

⑦M大学での講義をメインに、新人である事務職員にむけてどのようにアレンジすればよいのか考えました。学生とは違う何かが必要です。

⑧新人事務職員はすでに学校現場で仕事を行っており、先輩事務職員から様々なことを教わっているはずです。この新人へのOJTは1990年の大規模校県費複数配置が始まってから30年は経過しています。

⑨90年代当初、どのように新人を育成するかという会議が新人を育成する先輩事務職員たちの全県会議が何回か行われています。その時の「育成マニュアル」が全県で情報共有されていないので私にはどのような内容なのか知る由もありません。OJTを受けた学校事務職員が異動によって一人校へ赴任してみて、大変困った、という話を聞いています。それはこの時のOJTが県費の仕事(教職員関係の事務中心)がほとんどで、学校事務の基本である学校予算のことについては何も教えてもらえなかった、というのです。

⑩これは無理もない話で、大規模校には県費事務職員だけでなく市費事務職員も地方交付税基準で配置されており、事務室の仕事分担が縦割りだった学校が多かったためです。県費事務職員は県費(給与・旅費など)の仕事、市費事務職員は市費(学校予算・就学援助など)の仕事、という事務室内の事務分担が固定的だったことが原因でした。

⑪それでも新人事務職員に対して市費事務職員から学校予算の運営の仕方などをレクチャーすることはできたはずです。それもされかったということは、先輩事務職員の事務室運営に問題があったということになります。

⑫私は新人事務職員に次のようなプレゼンをしました。

「学校事務職員の役割」90分

1学校事務職員の現在(学校の法律 憲法から始まる学校事務)(学校の一日)

2学校事務職員の過去(学校事務職員の配置の歴史)(職務内容と時代変化)

3学校事務職員の未来(思考する学校事務)(行動する学校事務)

4学校事務職員の役割(教育現場を支える仕事)(地域の期待に応える)

 

⑬1学校事務職員の現在 では、

 私たちは公務員だから、法律で様々なことが決められていること。特に憲法26条を仕事の基本においてそれを忘れないということ。学校教育法で、学校には事務職員を置かなければならないこと、事務職員は学校事務を司る(責任者)ことが法律で決められていることを話し、そしていつか必ず考えることになる根源的なテーマ、難しいけれど「事務職員が学校にいる意味」を考えてみることについて話しました。意味を考える前につぎのような質問をしました。

Q1:あなたは学校という職場を好きになれるか?

Q2:あなたは子どもたちの声を聴くことができるか?

Q3:あなたは教育と社会の現実を見ることができるか?

⑭教育現場で仕事をしながら時々考えて、自分の仕事を問い直すことはとても大事なことだと話しました。そして「学校の一日」(これはM大学で使用したスライドを一部利用)の中で社会人としてのマナーをもう一度確認しました。

マナー1:TPOに合わせた服装、学校でサンダルは不可(非常時対応のため)

マナー2:出勤時退勤時は必ずあいさつ「おはようございます」「お先に失礼します」

マナー3:勤務時間外も公務員自覚必要、事務職員も教育関係者(新聞に名前が出る) 

⑮2学校事務職員の過去 では、

 法的な配置の歴史と配置数について話し、少子化で学校の統廃合などがあり学校事務職員数も減っていること、職務内容も「昭和アナログ時代の学校事務」と「平成デジタル時代の学校事務」と変化していること。今は「令和クラウド時代」で学校事務職員の職務内容も役割も大きく変わってきていることを話し、特に「教育支援的事務」という概念が必要になってきていることを話した。

⑯3学校事務職員の未来 では、

 「思考する学校事務」Why(なぜ)とHow(方法) について話した。仕事の基本となる学校事務能力を仕事をしながら自己啓発していきたいこと。学校事務職員としての知識、技能、態度を養っていくことが必要で、こういったことはどんな仕事どんな職場でも必要とされていること。小中学校事務職員は学校専任の事務職員なので、特に教育関係法令については熟知したい。役所の行政職員は部署が変わるたびに関係法令が変わることを考えれば、学校事務職員が関係する教育関係法令は『必携』1冊なので何年かかっても良いから読破してみよう。仕事をする中で疑問がわいたら考える習慣をつけよう。例えば、教材備品購入予算が100万円あったら、どのように予算を有効に使えるのか?慣例で、教科ごとに前年度並みで配分するのか?その配分に根拠はあるのか?もっと有効な配分方法はないのか?などだ。

⑰「行動する学校事務」は、デスクの前に座っているだけでなく、1日1回は校舎内を歩くこと。犬と猫、どちらが好きですか?と聞く。犬が好きなら、校舎内のポイントポイントでマーキングして歩く。猫が好きなら、校舎内でお気に入りのエリアをテリトリーにしてみる。学校事務職員からみて学校に関係のある人を大事にしたい。1児童生徒 2教職員 3教育委員会、教育事務所 4教材業者、地域住民  学校事務は見えないところで助けられていることがあるので、気を付けて応対したいと話した。

⑱4学校事務職員の役割 では、

「教育現場を支える」で、どういった学校事務職員になりたいのかイメージすること、学校事務という仕事が教育現場をどのように支えているのか考えてみたい。

「地域の期待に応える」には学校事務職員のミッション(使命)を意識しそれに沿って仕事をすれば期待に応えていることになるのではないかと話す。学校は地域の教育施設で、その学校に通う子どもたちは「未来の希望」だということを、教職員も保護者も地域住民も共通の願いとして持っている。平和で安心で安全な学校を作っていくことだと話した。

⑲みんな、まじめに聞いていた。この大規模校でのOJTが終わったら、来年は一人校へ赴任して、自分で学校事務をマネジメントすることになる。そこから本当の学校事務事務職員としての仕事が始まる。がんばってほしい。学校事務は楽しい仕事だ。その楽しさが分かるまで時間がかかるかもしれない。とまとめた。

⑳このプレゼンで大きく反省したことがある。それは、県教委との連絡不足だ。私のミスでもある。ちょっと残念だった。こちらの実力不足で新採者に悪いことをしたと反省。

・開催期日の延長で内容ミス コロナ禍となり5月開催が10月開催となった。プレゼン内容を当初採用2か月目という設定で組み立てたが、コロナの感染状況を見て場合によっては研修会中止もあると言われた。後日10月開催するという連絡を受け、採用6か月目の事務職員という設定に内容を修正する必要があったので、修正を行ったがいまいちだった。

・日程確認ミス 当初120分と言われて準備したが当日90分だった。送られてきた開催要項をみると90分だった。直前まで気付かなかった。時間調整に何を削るか、判断する。できるだけ参加型の研修会にしたかったが、ちょっとできなかった。 

・研修会内の他の研修内容の確認ミス 1日研修で、私の出番は午後1番だった。午後来てくださいと言われたが、朝から他の講師がどういった内容の講義をするのか聞くべきだった。話す内容が被らないようにしたつもりだったが、一部被ってしまったことが後で判明した。私はいつも「自分が聞く立場だったら」と考えて話をする。同じような話を何回も聞かされる方はたまらない。

・講義スライドを印刷しないでよいと言ったミス 私のスライドは60枚くらいあったので、経費削減と職員の負担軽減を考えて資料の印刷はなくてもいいですと言ったのが間違いだった。講義を聞くには聞くが後で資料を読みたいというのも事実だ。資料の必要な新採事務職員は私宛にメールを送ってくれたらそこへ資料を添付して返信しますと講義の最後に連絡した。資料が大量であっても印刷をお願いすべきだった。■

15時限目:アップデートする学校事務職員:大学生へ「学校事務」をプレゼンする

 15時限目になりました。今回は2時限目にも書きましたが、現職中に考えていた「学校事務」をどのようにプレゼンするか?を、退職後に行うことができたのでその様子を書いてみました。プレゼンするということは、学校事務をどのように伝えたらよいのか、どのように理解していただけるのか、結構悩みました。「学校事務をプレゼンする」を一緒に考えてみましょう。

①2016年、退職後に松本市のM大学で教育学部を立ち上げるというニュースを報道で知りました。少子化時代の私立大学なので、学校経営の厳しさから様々な経営戦略を考えてのことだと思います。この大学は、地域の人材を育成して地域に還元しよう。地域の活性化を目指すという強いポリシーを感じさせます。実際に現場で役立つ学問を目指す実学志向の大学です。

②私はこの大学の学長に手紙を送りました。

「教員を目指す学生たちに、学校教育を支える職員として学校事務職員という仕事があります。義務教育学校の学校経営を担う事務職員です。学校事務という仕事のことを話したいのですが、可能でしょうか。」

③後日、返事がメールで届きました。

「OKです。ただ、教育学部のカリキュラムはすでに決まっており、この中に学校事務講座は入れられないので、学長の授業で学部生に講義する時間があるのでその時間の中で講義してください。」

④こうして私は4年間、2017年から2020年まで教育学部1年生に90分の講義をすることができました。講義の後で学生の感想を聞くと中には、教員ではなく学校事務職員になってもいいかも、という学生の感想もありました。

⑤さて、学部1年生に、どのように「学校事務」をプレゼンするか。教育学部ということは小学校の教員になりたいと希望して入学した学生たちです。私が話すことは、3年生や4年生になった頃にはおそらく忘れてしまうでしょう。だとしたらどうやってインパクトを与えるか。

⑥まず、学校現場は教員だけで学校を回しているのではないことを知ってほしい。ということ。そして、長野県内のどの小中学校へ行っても「学校事務職員」がいること、を知ってほしいと思いました。それで、プレゼンの題は「学校教育現場を支える職員ー学校事務職員からみた現場ー」ということにしました。

⑦内容を4部構成にして、

1ー学校の1日(教員の仕事) 

2-学校事務職員の仕事

3-学校教育現場を支える(チーム学校) 

4ー子どもたちの家庭(保護者のこと)

ということで話しました。

⑧講義のはじめに、学生に質問をします。

「自分が入学した小学校で、1年生の時の担任の先生の名前を憶えていますか?」

覚えている学生に挙手をしてもらうとほぼ全員が手を上げます。

「先生」という仕事は「記憶に残る職業」だと伝えます。

次に「学校に学校事務職員がいる、というのをいつ認識しましたか?」と聞き「小学校の時、中学校の時、知らなかった」と三択で挙手をしてもらいました。

ほぼ80%の学生が小学校の時には、学校事務職員のことを認識していました。

残り20%が中学生の時です。

⑨私はこの結果をみて、長野県が1990年以降に行った「学校事務職員の全校必置」によって、学校事務職員の認知度はかなり高くなったのだと思いました。そして、それぞれの学校で学校事務職員が活動をしているのだとしたら、認知度はさらに高くなります。そうでなくても、学校事務職員は「実は子どもたちから見られている」のだと、思います。「見られている」と心して出勤しましょう。

⑩講義の内容は次の通りです。

1-学校の1日 では、

 ・登校の時間から下校まで、学校内で起きるであろう様々な事例をあげました。学生たちは児童生徒でいた小学校中学校の生活しか知りません。これから教員になる勉強をして教員になろうとしているのですから、学校職員側からの視点で学校の1日を知ってほしいと考えて作成しました。多くの学生が、「そうなんだあ~」と驚きます。

 ・例えば、登下校時の思いがけない交通事故のこと。特に朝は出勤する車が急いでいます。学校は勤務開始前ですが、学校職員は交通事故でもあれば誰かが対応しなければなりません。勤務時間前だから関係ないというわけにはいきません。学校事務職員も「安全指導は教員の仕事だから私には関係ない」と思っている人が多いのではないでしょうか。児童生徒の通学路を知っておく、あるいは学区内を知っておくというのも、地域を知っておくという意味において、大事な学校教育の基礎となる情報です。

 ・朝の欠席連絡の電話が多いのも、学校あるあるですね。連絡帳でという学校もありますが、(最近はメールというのもある)、多くの親は電話を直接かけてきます。学校事務職員が対応することが多く、急な病欠はもちろんですが、不登校児の親からの電話も毎日対応します。もちろん職員会等で「気になる子情報」を教職員で共有しているのでそういった家庭には丁寧に対応します。

 ・こういった学校の一日の様子を下校時までトピックを上げて話し、教員の対応、学校事務職員の対応をプレゼンしました。学生たちは学校の教員がどのような意識で仕事をしているのか、そして学校事務職員がどのように対応しているのか、認識を新たにしたようです。

⑪2-学校事務職員の仕事 では、

 ・利害関係者(ステークホルダー)ごとの仕事でプレゼンしました。

 ・学校経営のヒト・モノ・カネ・情報のビジネス原則でなく、児童生徒保護者という顧客(カスタマー)を中心においたサービス(事務)で話したほうが、学校事務という仕事を理解しやすいのではないかと考えたからです。最初に「学校事務職員はどうすればなれるのか」について話します。県の採用試験を受験するところから話します。そして学校事務職員が教員と同じように憲法26条の理念を実現させるために配置されていることを話します。

⑫次に具体的な学校事務という仕事の中味を話します。

▶児童・生徒・保護者の学校事務サービス

・転出入等学籍管理・教科書・学校徴収金会計・学校給食会計・就学援助

▶教育環境の学校事務サービス

・公費予算による教材消耗品や教材備品の購入・学校施設の管理

▶教職員管理の学校事務サービス

・人事雇用・服務管理・福利厚生・給与旅費

⑬3-学校現場を支える(チーム学校) では、

 ・学校事務職員以外の学校職員について話しました。子どもたちにとって、学校の職員は教員だけでなく保健室や図書館、場合によっては事務室などが駆け込み寺的な意味合いを持つことがあります。

 ・私自身が、中学校勤務の時に事務室へそういった子たちが駆け込んできた経験があります。いじめ・不登校・子どもの貧困など、学校で対応する様々な事例に、担任や教員集団だけでなく他の学校職員も含めた全教職員で対応するという時代になってきました。

⑭4-子どもたちの家庭(保護者) 

 ・ここでは、本の紹介をしました。岩波ジュニア新書『正しいパンツのたたみ方』です。子どもが大人に成長していく過程に学校があります。教職員はその成長の手助けをしています。

 ・教員は教育活動をとおしてダイレクトに子どもたちに働きかけます。学校事務職員は教育条件整備をとおして間接的に働きかけます。場合によっては直接働きかけます。私は「事務室かべ新聞」をカレンダーの裏を利用して手書きで作成して廊下に掲示したことがあります。

⑮この本の大事な部分は、「人が自立した人間になるために4つの自立が必要」

だと書いています。それは、

1生活的自立(自分のことは自分でできる。家事は自事) 

2精神的自立(最終判断は自分で決め、それに責任を持つ)

3経済的自立(収入に応じた支出など見通しを持った生活ができる)

4性的自立(性を何かの目的や道具として使わない、誰かに利用されない)

です。これらの自立を子どもの成長に応じて確立させていくことだと書いています。

⑯そして、「様々な家庭の姿があり、そのどれもが子どもが愛される家庭であること。」とあります。この本は中学生や高校生向けの本でありながら、大人も十分ためになる本です。学生のみなさんも読んだことがなければ是非読んでください。教員になって学級担任になったときに絶対役に立つ、と話しました。

こうして90分の講義は終わります。毎年、話の微修正を行います。講義の順番はこれでよいのか、教員になる学生の心に響いただろうか。講義後の毎回の感想が楽しみでした。

⑰学校現場で現れる「子どもの事件」は子どもに問題があるのではなく家庭に問題があることも多く、そういった家庭の保護者が、実は大人の4つの自立ができていなかったりします。家事ができない親。子どもを放任する親。収入以上に浪費する親。子どもを虐待する親。学校事務職員も、職員会などで子どもたちの様々なトラブルを見聞きします。

⑱社会的な構造による保護者の問題から家庭の問題となり、そこから子どもの問題に発展する場合もあります。例えば、保護者が非正規労働者、経済的に厳しい、親のストレスを子どもに発散、子どもはそのストレスを学校で発散しトラブル発生、というケースです。ジェンダーの問題等教育社会学的な問題の理解も必要となってきた時代です。事務職員だから関係ない、と思わず、学校現場で子どもを育てる責任の末席にいることを忘れず、時々「教育社会学」みたいな本も読んで勉強するのも必要かもしれません。■