アップデートする学校事務職員

2050年学校事務職員への伝言

9時限目:アップデートする学校事務職員:教育条件整備はハードウエアだけか?

 9時限目は「教育条件の整備」ということについて考えてみたい。今回は教育施設や教材備品などのハード部分について考えてみよう。

①学校事務職員の仕事が「教育条件整備」だということを4時限目「学校事務職員は何故学校にいるのか」で書いた。しかも「奥が深い」と。

②1980年代「個性化教育」という言葉がトレンドになった。一人ひとりの子どもを育てようということだ。当時は全国的に戦後建築された学校の校舎が改築時期を迎える時期になっていた。その頃の校舎のトレンドは「壁のない教室」だった。廊下側の壁が可動式になっていてオープン教室と言われた。「個性化教育」と「オープン教室」はセットだった。

③30代になった私は「教育環境」というものに興味を持っていた。

 愛知県の緒川小学校で1985年(?)「個性化教育の研究発表会」が行われるという情報を得た。どうやらその学校はオープン教室の学校だと。長野県にはないそういった校舎の教育現場を見に行こうと、校長に年次休暇を申請し、自費で研究会に参加した。一人で行くのもいいけど、興味がある学校事務職員仲間がいれば一緒に行ってもいいと考え、興味がありそうな理科系のNさんを誘った。

④その頃の私の学校事務の研究仮説は「教育ハードウエアは教育ソフトウエアを規定するのか?」というものだった。これは、校舎や教材備品などのハードウエアと新しい教育形態・教育方法などのソフトウエア、どちらが優先するのか?という疑問だった。型を決めたら、教育方法などはそれに従うのだろうかという疑問だ。答えはノーだった。

⑤子どもたちの教育を、こういう方法で行い、理解できる力をつけさせ学力を上げたいというのが先で、そのためにその教育方法を効率的に進められる校舎・教室配置・教材備品が後から検討される。しかし、学校改築は50年に1回というスパンだ。市町村の教育委員会は、悩む。

 新しい時代の教育をつくるには、新しい教育施設が必要だと考える。新しい教育施設を現場の教職員は活用できるのか?オープン教室だからオープン教育ができるのか?

⑥学校現場の声を聴くというが、それはドアの色を何にするかといった枝葉の部分でしかないことが多い。「オープン教室」がトレンドだった時期、これを採用する校舎に改築した学校が増えたのだ。長野県でも何校か建築された。教育委員会の理念が優先し、壁のない教室利用を迫られた現場教員は困惑した。結局、可動式の壁は教室の壁としてクローズされた、という学校が少なくない。元に戻ったのだ。

⑦「個性化教育研究会」に参加してみて、私は収穫が多かった。緒川小学校の個性化教育はすごいと思った。教員たちがこの教育方法が有効な教科とそうでない教科を研究しこの学校に赴任する教員はこの学校の教育方法を研修する。こうして持続可能な個性化教育となるという。

 2000年代の現在はどうなっているのだろうか?興味あることだ。

⑧私は学校事務職員なので、緒川小学校の事務室へ行き、お名前は忘れたが、学校事務職員の方と懇談し彼から多くを教わった。「個性化教育」を維持する学校予算や教材備品などについて尋ねた。私の一番の収穫は「お金のことではなく、教材備品に対する考え方」だった。

⑨「教材備品」は教材室に保管され、必要な時に持ち出して使用されることが多い。しかし緒川小学校は違った。教材備品もオープン!だった。もちろんオープンできる備品とできない備品がある。オープンしてもいい備品は、廊下の壁や廊下にテーブルを置きその上に置いてある。子どもたちは自由にさわってもいいという!

⑩例えば、社会科教材備品で掛図がある。日本地図や世界地図等廊下の壁に常時掲示してある。理科備品で顕微鏡が置いてある。もちろん理科専科教員が見えるものをセットしてある。学年に関係なく、そういったことに興味がある子どもは、地図を見るし、顕微鏡を覗く。私は「破損することはないのか?」と聞いた。「壊れても構わない。教材備品は活用されるためにある。教材室でほこりをかぶって保管されているよりも、活用されて壊れたほうがいい」というのだ。

 なるほど。目からうろこ、だった。日本は広いと思った。

 長野県にもこういった考えを持つ学校事務職員はいるのだろうか?長野県に戻ったら、教材備品のオープン化ができる状況なのか検討してみよう。(その後私は山村の小規模校で教材備品をオープンにする実践できた)

⑪その後、後輩学校事務職員のU君と「長野県学校建築研究会」というのを標榜し、二人で改築された学校やユニークな校舎を見に行った。その一つの学校に後日自分が赴任することになろうとは思いもよらなかった学校があった。このことはまた書きたい。

⑫教育条件整備は、子どもの教育環境を整備する重要な仕事だ。学校予算を伴うものもあるし、就学支援という福祉的な制度もあって、市町村ごと学校ごとの状況を把握して理解して進める仕事だ。こんなことまでしなくてもいい、と考える学校事務職員もいる。でも私は「それでは学校にいる意味がないのではないか」と答えることにしている。

⑬退職最後に勤務した中学校は、公営住宅のある地区だった。生徒の25%が就学援助世帯だった。この中学校へ赴任する時、給食費等の滞納のことを聞かされていた。校長や教頭は市教委からどうにかしろという圧力を受けていた(たぶん)。担任も家庭訪問をしたり、督促状を出したりしていたが、にっちもさっちもいかない状態だったらしい。

⑭私は、滞納する家庭がどういう経済状態なのか、担任に聞いてみた。その多くはシングルマザーだった。定職のあるシングルはまだいいとしても、臨時パートという仕事を持つシングルマザーは経済的に不安定だ。

⑮例えば、ファミレスでパートしているというシングルマザーの家庭は生活ぎりぎりだった。給食費6000円、学年費5000円、旅行積立3000円の合計14000円。家賃5万円、光熱水費スマホ代5万円。通勤のガソリン代、食費、衣料、医療など、毎月20万もない収入で、親子2人は生活していた(らしい)。

⑯「就学援助費」をしていないということを聞いた私は、所得証明がなければ、何とも言えないが、私は担任に「就学援助費」を申請したほうが良いと話した方がよいのではないかと話した。もし認定されるなら、少なくとも学校で集金しているほとんどは賄えるはずだ。児童手当も滞納給食費に補充することも同意していただければ心配することもないように思えた。担任から、この家庭が申請したいという申し出があったと聞き、書類を用意した。市教委では毎年新年度になると申請希望家庭から書類を提出させていた。それ以降は、経済状態に応じて随時申請、随時認定される。この家庭は認定され滞納額も無くなった。チラシを配布しても「就学援助制度」がどういうものかを知らないという家庭もあるので注意が必要だ。

⑰学校事務職員として、そういった「就学援助制度」を活用することで家庭の経済的負担軽減を考えてみることと並行して、学年費という学習教材等の共同購入にあてる費用の見直しとお金のかからない学年旅行などを、学校予算とにらめっこしながら、学校教育にかかる経費について、常に考えることが教育現場にいる務めだと思ったりする。■