8時限目は「学校の中のジェンダー」について考えてみたい。学校事務職員もこのジェンダーなど昔からの固定観念に縛られていることを意識してみよう。
①7時限目の中で、職業アイデンティティのことを書いた。自分が仕事のことで悩んでいた20代のころから、この仕事を続けると覚悟を決めた30代。学校事務職員の課題と連動して、学校という職場を構成する人間関係について考えることが多くなった。
②1980年代後半、思想界で「構造主義」という言葉がトレンドワードとなった。それって何?と思って本を読んでみた。フランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースがブラジルアマゾンの部族社会で参与観察していた時に、ある部族の婚姻にどうやら法則性のようなもの社会構造(ルール)があるということがわかった。そういった構造は結婚だけではなく様々な人間生活のどの社会にもあるのではないか。みたいなことだったと思う。そうかあ。学校というこの社会にも何か隠れた構造があるのかもしれない。これから、文化人類学者の眼になって学校社会を観察してみよう、と思った。
③その20代後半の頃、上野千鶴子さんの『資本制と家事労働』という本(ブックレット)を読んだ。この本の中で「家父長制」について書かれていた。世界の多くの人間社会が男性中心の社会になっている。その時気づいた。おおお。学校の教職員社会もそうかも。今ごろ気づいたのか、と怒られそうだ。
④学校社会を家父長制という視点から構造を分析してみようと思った。80年代の長野県の学校社会はこのようになっていた。ノートにX軸とY軸のマトリックス表を作ってみる。X軸の左に女性、右に男性、Y軸の上に教員、下に職員、と分類してみる。
⑤「家父長制」は男性優位社会を維持する制度で、男性自身が「これはちがうだろう」と意識しない限り、男性が優位であることを当たり前だと思っている。この制度は、権力や地位を代々男性に継承していく制度だ。当時の長野県の学校の管理職はそのほとんどを男性教員が占めていた。さすがに2000年代になって女性管理職も増えてきたが、まだまだだ。何故そうなのかと考えると、やはり「ジェンダー」という言葉を持ち出すことになる。
⑥それは、学校という職場が疑似家庭という存在(当時は日本社会の民間企業や役所などの公務員職場でも同じ)であった。昭和の家庭スタイルは男性は仕事、女性は家事、という観念に固まっていた。男性と同じように働いている当時の女性職員にとってみれば「なんでこんなことしなければいけないの」という状況だ。
⑦例えば、私が採用された学校で、毎朝「連絡会」があった。いわゆる朝会(あさかい)というやつである。長野県ではまだ出勤簿に押印する時代で、その出勤簿は校長室にあったのだ。つまり毎朝、校長室へノックして入室し、学校長におはようのあいさつをするのだ。(その後長野県は1990年に出勤簿の押印を廃止した)。そして毎朝、女性職員は職員全員のお茶を入れていた。それを年配女性教員が采配するのだ。若い女性教員が男性教員の机にお茶を配る。ここで、えっ!と思った方。「お前は何をしていたのか?」と疑問に思われるだろう。恥ずかしながら私は「男性」事務職員だったので「お茶配り」を免除されていたのだ。ということは、私が「女性」事務職員だとしたら、毎朝このお茶配り当番のサイクルに組み入れられているのだ。実際多くの女性学校事務職員はそうさせられていた。民主的だろう?と思われていた学校職場でさえ、お茶入れや弁当注文などは女性の仕事だと思われていたのだ。ジェンダーは作られた性差別だ。マトリックス表の右上の第2象限の位置にいる管理職と男性教員が学校内の上位者であり、第4象限の女性職員が学校内の下位者に位置付けられる。
⑧当時の校務分掌に「接待係」という係があった。これは来客にお茶を出すという仕事だ。2000年代以降、こういった係は校務分掌から消えていったが、それでも管理職の中には「来客があればお茶を出すのは当然」と考える人は少なくない。現在は来客にもお茶を出さないようになってきた。
⑨80年代後半、私は児童数100人もいない山間小規模校に勤務していた。授業中の職員室にいるのは、教頭と私だ。来客時、校長から「お茶お願いします」と言われ、教頭と私はお互いを見合った。教頭は保健室にいる養護教諭を呼ぼうとしたが、私はそれを止め、私がお茶を持って行った。それ以降、もしお茶お願いと言われたら、教頭と私が交代で行うという約束をした。しかしこれが、女性事務職員だったら。あるいは女性教頭だったら、と考えてみる。学校によっては、校長室にポットとお茶セットを置いて、校長自らお茶を出すところもあった。
⑩学校は教員世界でもあり、マイノリティの学校事務職員は不利な立場になることが多い。学校事務職員が仕事を進めやすい職場の環境整備など様々な事務改善などを行うために、一人で立ち向かう勇気が必要だった。
⑪退職した最後の勤務した学校で、前任者がさせられていた仕事がある。それは教職員の休憩用のお菓子を購入するという仕事だ。前任者は20代の採用されたばかりの男性事務職員だった。学校事務がどういうものかも理解できない中、これも学校事務職員の仕事の一部だと考えていたかもしれない。50代後半の私は、赴任して真っ先に「廃止」をした。
⑫「ジェンダー平等」を目指す話は、学校社会だけのことではなく、地球社会全体のことだ。ジェンダー平等から思い出されるのは、私が最後に勤務した中学校でのシングルマザーの保護者のことだ。この学校は、就学援助家庭が生徒の25%にも及んだ。地域的にも市営住宅などが多く、シングルマザーが多かった。事務職員は私だけなので、就学援助事務を行うことになる。この時、学校予算(公費)、学年費と旅行積立金(私費)、学校給食費(私費)そして就学援助費(該当家庭に公費)という学校教育にまつわるお金について総合的に扱うことを行った。就学援助家庭は滞納も多く、その滞納の整理も私の仕事だった。なんて忙しい学校なんだ。
さて、この中学校は毎朝読書の時間が設定されていた。担任はもちろん専科教員も一般職員も学級を割り振られていて、その学級で本を読むのだ、私は3年1組の教室に配属されて、毎朝本を持って教室へ行った。その時読んだ本は『正しいパンツのたたみ方』という岩波ジュニア新書674の本だ。学校の図書館にあったやつだ。大阪の高校家庭科教員が書いた本で、男性家庭科教員だ。この本の中で人間の自立について4つのことが大事だと書かれている。1生活的自立(自分のことは自分でする)2精神的自立(自分のことは自分で決める)3経済的自立(自分のお金で生活する)4性的自立(自分の性は自分で管理する)。男性も女性もお互いが依存し合うのでなく、自立して助け合うことが必要だと書かれてあった。
この学区のシングルマザーの人たちは様々な理由でシングルになって子どもを育てている。経済的に自立することができなくて困窮している状況だ。話を聞いて見ると結婚と同時か子どもが生まれてから「専業主婦(経済的自立を捨てて)」となり、そして夫と離婚したというパターンが多かった。こうしてシングルマザーとなってしまったが、経済的に自立しようと努力されており、子どもと一緒に幸せになってほしいと願わずにいられない。給食費の滞納などを就学援助費などを利用してどのように解消するか相談するという、学校事務職員ならではの現実的な仕事を行うことになった。この時100人もの生徒の名前を覚えることになった。■