①当初このブログを20時限目程度で終了する予定でいたのですが、わずかながら読んでくれている方がいると知って、少しづつ終了が伸びています。自分でも意外とびっくりです。それで29時限目まで来てしまいました。ありがとうございます。
②このブログを読んでくださる皆さんの関心どころをみると、「学校事務職員が何故学校にいるのか?」というテーマへのアクセスが多く、このテーマが読者の方たちに響いているということがわかりました。このテーマは永遠のテーマなんだなあ、と今更ながら再認識しています。みんな、「存在論」に関心を示すとはすごいです。
どんな学校事務の理論や理屈をつけても、「この仕事」をしている「学校事務職員」は、生身の人間です。仕事は理論や理屈通りに進まないものです。でもやっぱり「それなりの理屈」は必要だと理屈っぽい私は考えています。
「何のためにこの仕事をしているのか」は大事なことだけど、発想を少し変えてみましょう。「誰とこの仕事をしているか」という発想です。意外とこのことは大事なことです。楽しく仕事をしたい。楽しい仕事が誰れかのためになっている。そのベクトルの力と方向が、何のために、という目的につながっていくのが理想だ、と思うのですがどうでしょうか。
③誰と仕事をしているか。これは楽しく仕事をするための大事な要因です。
例えば、自己中な管理職と仕事、という場合があります。こういった管理職にあたった時には、ほんと、メンタルやられます。もう仕事が楽しくない。昔、こういった管理職と仕事したことがあります。ほんとに片頭痛がひどかったです。ストレスがあると、身体に正直に不調が出てきます。心身一体ですね。長野県の学校の人事異動が在校3年から4年というのは福音です。こちらが先に異動でこの学校を出て行くか、相手が先に出て行くか。この私の場合は、相手が先に異動で出て行ったので良かったです。でも2年間も一緒だった。きっと3年も一緒だったら離職したかもしれないです。
長野県の小中学校で事務室がない学校は、職員室の正面で校長・教頭・事務職員と机を並べることが多いです。たまに事務職員の机がこの列から外れる学校があって、事務職員の位置に教務主任の机が並ぶこともある。でも事務職員の机は管理職の机の近くのことが多いです。
私の知っている事務職員の方は、管理職とそりが合わず、メンタルをやられて休職し、復帰してから、管理職の机から一番遠い所に自分の机を持っていきました。そばにいるだけで蕁麻疹が出ると言っていました。本人は翌年、転任を申し出て他校へ異動しました。
④楽しく仕事をしたい、と願う学校事務職員の心の内を覗いてみると、毎日が面白くない、で埋まっています。「何のために」という目的がはっきりしていると、少しは心の平安がもたらされることがあります。そして、「楽しく仕事をする方法」が見つかるかもしれません。
私が学校事務という仕事の目的に「憲法26条の教育」を何度かブログで持ち出したのは、この学校事務という仕事の「北極星」のような存在だと思うからです。仕事の目的があれば、少しくらい変な教職員がいても、仕事を頑張れると思うからです。
私が学校事務職員となって経験8年目くらいの20代後半の頃、戦後の学校事務草創期から仕事をしている大先輩から「ボーイスカウトのマグカップ」をプレゼントしていただきました。それは、この大先輩がボランティアで長野県ボーイスカウト協会の事務局をしていたからです。「長野県ボーイスカウト協会創立40周年」の松代焼の記念マグカップ。
「このカップに絵が描いてあるだろ」「はい」「矢印の絵だ」「どういう意味なんですか」「この矢印は、常に北極星を指している。道に迷ったら、北極星を探すんだ。」
「なるほど。ボーイスカウトは良くキャンプしていますよね」「ボーイスカウトのモットーは、備えよ常に、だ。」「意味が深いですねえ」
大先輩は、1945年の終戦時「満蒙開拓義勇兵」として12歳の時に満州(中国東北部)にいて、生死を彷徨って生き抜いて帰国してきた人だ。長野県は全国で一番多く満州移民を送り出した県で、多くの子どもたちが満州で生きて帰れず亡くなっている。
「国策とはいっても、満州移民が大変なことを大人は分かっていたと思うが、子どもは当時の軍国主義教育のまま信じていた。おれも信じていた。信じ込まされていた。だから子どもにとって教育というのは大事なんだ」と大先輩は語っていた。大先輩は、子どもの教育、という北極星を目印に仕事をしてこられたのだった。
話が何だかそれてしまったが、心安らかに仕事をするにはそれぞれ北極星になるものが必要だということでしょうか。私は憲法26条が日本中の学校事務職員の北極星になるのではないかと思っています。押しつけがましくてごめんなさい。
⑤学校事務という仕事についた初めての中学校で、特別支援学級の生徒から「友達になってほしいという目線」を送られたことがあります。遠くからジーっと見られているのです。当時の私は、「この目線はどういう意味なんだろうか」「私はどうすればよいのだろうか」と戸惑った。大学で教育心理学も児童心理学も教育に関係する勉強をしていなかったので、若かったこともあり、子どもたちのことがよく理解できませんでした。
その時に思ったのは、学校に勤務するということは、やはり基礎知識としてそういった子どもの心のことが分かるような概論でもよいので「教育に関係する勉強」をする必要があるのだろうということでした。事務職員は、子どもに直接教育する教員という職種ではないけれど、教育現場にいる以上、学校事務職員に必須だと思ったのです。
⑥じゃーん。勉強しました。教育心理学関係の本を購入して読んでみました。とは言っても、読んだからと言って子どもの心が理解できるわけではありません。が、参考にはなりました。思春期の中学生は難しい。
そして私は、子どもよりも職員室の教員の行動や心理の方に興味が行ってしまいました。教員は事務職員のことをどう思っているのか。管理職は事務職員をどう考えているのか。それから「学校」というものを深堀してしまい、公教育現場と学校事務職員の関係について悩むことになってしまいました。
新人学校事務職員に必須の勉強は法令の他に、「教育とは何か」「学校とは何か」ということで、その知識を得る学問は「教育社会学」じゃないかと。それで「教育社会学」関係の本は何冊も読みました。学校とはどういう所なのか、そしてこの日本社会は教育をどうしようとしているのか、どうなっているのか、を知るために。
一読をお勧めする本はこれです。「有斐閣『教育格差の社会学』2014年」
今の教育社会学の課題が分析されています。
脱線してしまいましたが、仕事柄、学校の子どもたち、特に支援学級にいる子どもたちやメンタル的に参っている子どもたちと友だちになることが多くなりました。これは、私が何か意図的に子どもに働きかけたわけではなく、私という人間を解放するために、「事務室壁新聞」という情報発信を行っていたからです。これによって、学校中の子どもたちが私に興味を持ってくれての結果です。
それから、私は学校のどこかに花を育てることにしました。きっかけは、「1995年の阪神淡路大震災」で亡くなった神戸の小学生が育てていたヒマワリの種をもらったからです。学校の片隅に、ヒマワリの種を埋めました。ヒマワリは咲いて、種を取って次の異動した学校でヒマワリの種を埋めてと繰り返しました。退職後に、新潟県の小学生が育てていたアサガオの種をもらいました。この小学生は小児白血病で亡くなってしまい、その子が育てたアサガオから種をとって全国に種がばらまかれたとのことです。その種から子ども、孫と種が増えて、私は諏訪のある小学校1年生の児童たちが育てて採取したアサガオの種をいただきました。毎年アサガオを育てています。
誰と仕事をしているか。見方によっては子どもたちと仕事をしていると言えます。
以下、「臨床学校事務:子どもと学校事務職員のゆるーい関係」の事例です。
⑦「事例1」自閉症の小5。山間部の小規模校。授業中に教室を抜け出して、職員室にやってくる。職員室には、私と教頭の二人。保健室に養護教諭がいるのにそこにはいかないで、職員室にやってくる。「仕事してるから、後で遊ぼうね」と言っても、そんなの関係ねえ、という感じだ。学校体育館を社会体育で貸し出ししている関係で、村内の有線放送機器(有線電話)が設置してあり、その電話を利用して職員室に電話してくる。「リーンリーン」「はい、◎◎小学校です」と私が出ると「もしもし、わたしです」と小5のあの子。「有線電話で遊んじゃいけないよ」というと「はいわかりました」と有線電話をきる。しばらくしてから、また有線電話がかかってくる。何度も何度も。「教頭先生、何とかしてくださいよ」「うーん、体育館に行ってくるか」その子は教頭と体育館で鬼ごっこして遊んで満足したようだ。
これは、ある1日の話ではない。毎日毎日の連日の話である。今でこそ、自閉症児の理解が進み、さまざまな対応策で学習権の確保を行っているが、1990年代、山間部の小規模学校で特別支援学級も無く、普通学級の担任はこの一人の自閉症児に振り回されていた。担任の先生もほとほと疲れていたと思います。頭が下がります。
私もこの子の遊び相手になってやりたいが、正直そんな時間はない。自閉症児の興味関心や特性を伸ばしてあげれば、成長するんだろうなあ、と思ったがこの環境の中では無理な話だ。職員会でも何度か話題になるが、担任の努力に期待するしかないという状況だ。その子と卒業後に一度郵便局で出会った。10年近く経っていたのに私の顔を覚えていてくれて声をかけてくれた。「◎◎先生」「はーい、U君だね。ひさしぶり」
⑧「事例2」不登校気味の中2。中規模の学校。私が事務室壁新聞というのを事務室前の掲示板に毎月張り出していた。当時流行っていた「動物占い」。子どもたちには人気だった。教室に入れない生徒たちが何人かいて、その子たちは別室の空き教室で自主勉強していた。学校へ登校すれば出席になるが、教室で授業を受けていないので学力はさっぱりだ。ある日、空き教室でその子の面倒を見ていた非常勤の元教員の年配の先生が事務室にやってきて、「◎◎さんが、事務室で勉強してもいいか?と聞いてきたんだけど、どうですか?」「ええええっ!」びっくりだ。その子は事務室壁新聞を読んで、私の動物を教えてくださいと、事務室に来たことはある。「うーん。事務机はあるからそこで勉強することはできるけれど、事務室はいろいろな人が出入りするし、勉強できないと思うけどな」「お試しでいいから、1日だけ願いをかなえてやって」「わかりました」
きっと、その子は、閉塞感に押しつぶされそうで、自分の環境を変えようと思ったんだと思う。何かにもがいてもがいて、学校に行きたいけど教室にはいくことができないし、このまま空き教室で、自習のような勉強しても気持ちがふさがってしまうんだろう。自分の気持ちを乗り越えるには自分で何かを見つけるしかない。自分の心を解放するのは自分だ。心の解放のお手伝いができるかもしれない。
この学校の事務室は、県費事務職員の私と市費事務職員の方の2人で仕事をしている。相方にも了承を得て、一日だけその子は事務室で自習していった。チャイムに合わせて自習していた。私たちのお茶時間にお茶を出してあげた。彼女はいろいろな話をした。そして、私は最後に「事務室は自習するには不向きな場所だから」と告げた。
事務室で不登校の子を預かっているという事例を良く聞いたが、事務職員になんとかしてあげたい、という気持ち(私もあるが)があるのは大事だし間違ってはいないと思う。だけれども、事務室は短時間の緊急避難場所的にはOKだけど、恒常的にはやはり不可だと思う。この子にとっていい場所を探すのが学校職員全員の務めだと思った。この子は、学校外の不登校生たちが集まる○○の家という所へ行くようになった。
⑨「事例3」脳性マヒで肢体不自由な中2。松葉づえを使って行動。街場の中規模学校。3階建て普通教室校舎で中1の時は1階で、2年生は2階、3年生は3階となる。この子が中2になる時に、階段に身障者用の手すりを設置。事務室壁新聞を学校図書館に飾ってもらうことにしたら、それを読んだこの子が放課後事務室にやってきた。アニメのことなどいろいろ話していった。それから、毎日放課後、下校まで事務室に来るようになった。親が送迎のために車で生徒昇降口ではなく職員玄関側に駐車するので、この子は職員玄関の位置にある事務室前を通過して下校するようになったからだ。学級担任は「事務の先生の仕事のじゃまをするなよ」と注意して、私とこの子の関係を見守ってくれた。この子は自分の将来を次のように話してくれた。「足が動かないじゃん。だから動き回るいろんな仕事はむりじゃん。高校卒業したらコンピュータの専門学校に行きたいんだ。だから今、パソコンでいろいろ勉強してるんだ」「ほー、すごいじゃん。コンピュータでいろいろ儲かったら、お母さんも喜ぶな」「映画とかやってみたいから、動画をユーチューブにあげてるんだ」「変な動画上げたら、警察に捕まっちゃうよ」「変なのあげないよ。まじめなやつ」「じゃあ今度上げたら、教えて。観るから」
自分が置かれている位置や立場や状況を、それなりにわかっている。自分が身障者としてこれから生きていくことも受け入れて、それなりに将来を見ている。学校事務職員の私には、階段に手すり設置の予算要求くらいしかできない。
⑩「事例4」教室で元気な中3。目立ちたがり屋。山間地の小規模校。学校図書館に事務室壁新聞を掲示していた。そこに映画情報を載せていた。もちろん中学生が観てもいい映画だけを選んでいた。「先生、夏休みに観るいい映画教えて」と事務室にやってきた。この子は不思議系が好きだった。SF映画をお勧めした。ある日事務室にやってきて「先生知ってる~。1階の階段踊り場に女の子がいるんだよ。私、見たんだ」「ほんとかあ」「ほんとだってば」「それじゃあ、見に行ってみるか」
私は自称、科学的思考ができる、と思っている。説明可能なもの以外は信じないが、こういった類の話が好きなのは事実だ。第六感というものがあるのなら信じたい。私の母方のご先祖様に祈祷師がいたという。ひょっとしたら、そういった類のDNAがあるのかもしれない。子どものころから、くじ引きやじゃんけんは当たることが多い。運がいいだけかもしれない。
その子と、1階階段踊り場へ行ってみた。確かにぞくぞくするような場所だ。人があまり通らない場所ではある。いわゆる気が流れていない場所だ。つまり、太陽光が当たらず暗くて、空気の流れが澱んでいる。その子は成長期の思春期の女子特有の感覚過敏が誰よりも一段と強く感じるのだろう。
「霊感事務職員としてみると、確かにこの場所は気が流れていないように思う」と冗談ぽく言った。「そうでしょう。ここに誰かいるような気がするんだけど、先生感じない?」「もし、何かがいるとしたら、助けを求めている、かもしれないね」「なんか、こわ~い」「この階段は通らない方がいいよ。助けを求められても助けることはできないんだから」
見えない誰かが助けを求めている、というメタファーは、おそらく自分のことなのだ。その子の家庭環境やクラスの人間関係、高校受験のプレッシャーなど、様々な要因が絡まり合って、自分を助けてほしいという声なのかもしれない。相談を受けた教職員はどの子にもアドバイスを送る。話すと心が晴れるという子もいるからだ。事務職員としてできるのは、事務室にやってくる子の話を聞いてあげるだけで十分だと思う。深入りしないことが大事で、こういう子が来てこんな話をしたと担任と情報共有するのが教職員の一人としての義務かもしれない。
事務職員としてできるなら、気が滞るような校舎はぶっ壊して、気が流れる明るい校舎を建てたい。誰だ、こんな使いにくい校舎設計した奴は。■