①「学校」という場所は、人間の記憶に時間(時代)を刻み付ける。「学校」という場所に行くだけで、タイムマシンのように過去をさかのぼることができる。
自分を例にとると、私は1960年代から70年代に小学校中学校を過ごした。日本は高度経済成長で沸き立っていた。ひとクラス45人学級編成で、子どもがわんさかいた。小学校に入学した1962年は、映画で言えば「三丁目の夕日」のような時代だ。その昭和の記憶は、私には「いい思い出」が記憶に残っている。
②しかし、同じ時代を過ごしたからと言って、みんながみんな、「学校時代にいい思い出」を持っているわけではない。辛い思い出を持っている人たちもいるわけで、同じ時代を生きてきても人それぞれで、それを忘れてはいけないと自分を戒めている。
例えば、今も差別やいじめは無くならないが、当時私が通学していた小学校の学区には「同和地区」などがあった。教室で子ども同士、そんなことなど気にせず自由に遊び、お互い友達同士でもあった。私は、その地域に居住する友達がそこに住んでいるというだけで差別されるということを高学年になって知った。江戸時代から続く身分制度が明治・大正・昭和と戦後の新憲法のもと、いまだに続いているのだ。このことは、自分が成人するにつれて、障碍者や女性などの理由だけで、理不尽な差別に苦しんでいる人がいることを知ることになる。自分が健常者で男性であるというだけで実は社会から優遇されている価値観の世界にいたので気づかなかったのだ。
③学校事務職員として、公立小中学校に勤務するようになり、「教育社会学」を自分なりに勉強して、社会の問題は決して学校教育とは無縁でないことを知った。社会の問題は学校現場で表出していたのだ。
「学校事務の力(ポテンシャル)」というベクトルを二つの力に分割してみる。学校事務という仕事量を進める力を「パワー」と呼ぶとする。学校事務の質を高める力を「ギア」と呼ぶとする。それで「パワー」を横軸にし、「ギア」を縦軸にして考えてみよう。
学校に就職した当時を「学校事務パワー:レベル0」とすると、経験10年くらいで「学校事務パワー:レベル2」くらいにはなるだろう。これは、「パワーアップ」はしたけれど、「学校事務ギアはロー」のままで、学校事務に対する考え方がひとつも進歩していないことを意味する。若いから力任せの学校事務だ。
就職して若かった私は「学校事務の職種アイデンティティの確立」を目指そうとなんちゃら言ったり、そのことを学校事務誌に原稿載せたりしたが、「自分のこと」だけに注力していただけだった。この頃の私は、自動車で言えば、ローギアのまま一生懸命アクセルを踏んでいただけなのだ。学校教育のことなど考えてもいなかった。世界が見えていなかったのだ。
④「学校とは何か」を考え始めてから「学校事務ギアはセカンド」に入った。
これにはきっかけがあった。自分の子どもが「不登校」になったのだ。まさか自分の子どもが不登校になるとは考えてもいなかった。晴天の霹靂だった。
不登校になった理由は担任教員の常習的なクラス児童への体罰だった。教室が恐怖政治の場になっていたことが後から分かった。クラスの五分の一の児童が不登校という事態だったのだ。80年代という時代がそうだったのかもしれないが、当時の学校長はその事実を公にはせず、該当校の職員も口をつぐんだままだった。教員同士で批正し合うことは難しい時代だったのだ。
1980年代の当時のマスコミが教育問題で扱った言葉に「校内暴力」と「登校拒否」がある。自分の子どもは言葉どおりの「登校拒否」つまり「登校を拒否した(担任にノーと言った)」のだった。
現在使用されている「不登校」とは意味が違うのだ。翌年私の人事異動でわが子は転校することとなり、そして転校した小学校で楽しく通学するようになった。やがて、その体罰担任は心身症で休職したと学校関係者から聞いた。教職員の精神疾患も出てきていたころで、この担任は子どもへの体罰という形で症状を発現させていたのかもしれない。だが、体罰を受けた児童はずーっと心に傷を残すことになる。重い罪だと思う。
⑤2010年代、街場の中学校に勤務していた時に、職員会でLGBTの生徒のことが話題にあがった。生物学的には女子だが、心は男子だという。幸いなことにこの中学校では、自転車通学があるため、女子の制服にスカートかパンツを選択できるようになっていた。女子の三分の一はパンツスタイルだったので、これについては問題とならなかったが、体育の水泳水着や、音楽の合唱の時に女声パートなどその子の配慮をすることになった。
LGBTが社会で話題になっていることは知っていたが、身近な問題であることに改めて気づかされた。長野県では2000年頃から児童生徒名簿は男女混合で作られている。ことさら性別で分ける必要など何もないのだ。こうして、私は教育問題と社会問題がリンクしていることに気がつき、学校事務と学校教育をリンクして考えるようになった。
⑥話は変わるが、私は現職の時に、2回学校で泣いたことがある。
1回目は、学校行事で給食がない時がある。「音楽会で給食が無いため弁当持参してください」の時に、父子家庭の小3の子が仕事で忙しい父親に「明日弁当持参の日」と言えなくて、自分で弁当を作って持って来た、と担任から聞いた時だ。担任が言うには、「お弁当の中身は薄焼き(うすやき)だった」という。父親は朝早く仕事に出かけたので、自分で薄焼きを作ったという。「薄焼き」というのは小麦粉を水で練ってフライパンで焼いて作った薄っぺらいホットケーキのような長野県の郷土食(?)のようなものだ。それではお腹がすくだろうと、担任は自分の弁当を分けたと言っていた。その時私はモーレツに怒りがこみあげてきたのだ、怒りは涙になった。何故私は怒ったのか?
勤務していた学校は自校給食の学校で、音楽会行事とはいえ午後も授業するなら、給食を出しても良かったのだ。職員会で音楽会当日の日程が協議される中、弁当持参となった。給食調理員も出勤しているのに何故給食ができないのか。何故なら、職員合唱で給食調理員も一緒に歌うから給食調理はできないという理由だった。はあ~。
給食が無くて弁当持参の日に困る家庭は多い。保護者がコンビニで弁当を買ってきて「これを子どもに届けてください」と事務室に届けてくることは多い。家庭状況でそれは仕方ないことだし、それもあり、だと思う。給食無しの日の担任は、受けもちのクラスの子どもを想定して、コンビニで自分の分と多めにおにぎりを買ってくる。その話を職員室で聞いた時、担任は大変だなあ、と思った。(学校給食は食教育というけど私は福祉の領域だと思います)
話を続ける。自校給食で、給食調理員も出勤している。歌を歌うから給食調理ができない。え~。そんな理由ですか。自分たちの仕事を考えてくださいよ。給食を作るだけで、どれだけの保護者と子どもたちと教職員が助かることか。(もちろん音楽会の反省に私はこのことを意見した)
⑦2回目は、児童養護施設に行くことになった小6の子が、事務室にお別れの挨拶に来た時だ。保健室で身体測定をしている時に、養護教諭がこの子の体にあざがあるのを発見したのだ。担任が子どもに話を聞くと、家で男に殴られている、という。この子は母子家庭で、最近母親が男性と同居を始めたという。当然学校はこの事実を知った以上、児童相談所へ通報することとなった。このまま同居だと児童虐待の恐れがあるということでこの子は児童養護施設へ避難することになった。養護施設に避難する日、転校することになったということで、学級のみんなとお別れしてから、職員室に来て校長たちとお別れした。それから事務室にきて私たちに「お世話になりました」と頭を下げたのだ。それから児童相談所の職員と職員玄関から出ていった。その時のその子の何とも言えない淋しい眼差しを見たときに、涙が出て仕方なかった。
⑧教職員は、職員会で学校行事など大きく日程変更する提案などはあまりしない。できるかぎり、前年度踏襲が無難だからだ。この音楽会行事も前年度踏襲が続いていたのだ。
保護者も自分たちが過ごした学校生活がスタンダードだと思っていることが多いので、学校が何かを変えようとすると拒否反応を示す。「昔は良かった」式の思い出話は、楽しかった良い思い出しか残っていない。その陰で泣いていた人たちが少なからずいたはずだ。
⑨『聲の形』というアニメ映画がある。
ろうあ者の主人公が、小学校で同級生からいじめられる話だ。いじめた側が今度は中学生になって逆にいじめられる側に立場が逆転する。その時、小学校の時にいじめたろうあ者の主人公の気持ちが理解できる。そして何とかして、そのろうあ者の子に謝罪したいと思うようになる。いじめられたろうあ者の子は小学校時代によい思い出は無い。辛く苦しい思い出だ。このアニメ映画は主人公たちがどうやって小中学校時代を乗り越えていくかをみせてくれる。いい映画だ。
⑩人間関係の中で「いじめる」という行為は、時に犯罪的である。人の命を奪うことさえあるからだ。その「いじめ」を傍観していた者も同罪となる。でも、多くの人は見て見ぬふりをする。自分には関係ないと。
⑪私の小学校中学校時代にも教室で「いじめ」があった。私にはそれを止めさせる勇気がなかった。自己保身で自分には関係ない振りをしていた。しかし、私は学校の職員となって強くなったのだ。社会人として私は勇気を持つことができた。言うべきことは言う。退職した今も、その勇気を持っている。
⑫「学校事務の仕事量を上げるパワー」は経験を積めば強化することはできる。
「学校事務の質を上げるギア」を上げるには自分の思考にアップデートが必要なのだ。そのチャンスがあるならやってみよう。
私は、「学校事務と学校教育をリンクさせる」ことを考えて実行ができれば、自分をアップデートする(学校事務に対する考え方を書き換える)ことができたのだと思う。
⑬これで、この「アップデートする学校事務職員」ブログは終了します。ありがとうございました。🔳