19時限目になりました。今回は「学校組織」について考えてみたい。
①経営学の「組織論」はどちらかというと「企業組織」を中心に書かれている。
40代になって経営学を自主勉強するようになって、いろいろな本を読んでみた。学校をもっとビジネス的にスマートにならないのだろうか、というのが発端だ。そして一人の学校事務職員が学校の中で何ができるのだろうか、という解答を求めてのことだった。企業に学ぶべきことは多くある。特に事務管理や危機管理だ。だがその時に思ったのは「学校組織を企業組織と同じように考えるのはどうなのかなあ」ということだった。
2000年代に入って、中教審答申で「学校にもっとマネジメントを」と言われて、全国の学校長対象に「学校組織マネジメント」の研修が始まった。管理職にもっと経営学的な知識とスキルを身に付けてほしいということらしい。私はそのことについて違和感を感じていた。
小中学校だって「教育目標」を持って教育活動を行ってきている。毎年入れ替わる人事異動で、配置された個性ある教職員を生かし、その学校その学校の特性にあった学校組織を作ってきたはずだ。学校事務職員だっていろいろだ。しかし、こういった学校の組織は、企業からみればそれは「組織」ではなく烏合の「集団」に見えたのだろう。
「組織」は共通の目標を達成するために構成員がそれぞれに与えられた業務を行う集団、というような意味だ。「学校」も「よりよい教育」という目標に教職員全員が向かうのだから、ある意味「学校」は「組織」になっているのだと思う。
戦後、学校教育法ができ、全国の学校はその条文(学校教育法17条(目的)18条(目標))に書かれた内容を元に「学校教育目標」を作って遵守してきた(つまり教育目標を持って全教職員で教育活動を行ってきた)のだ。でもそれは企業と違って「結果」が現れにくいからかもしれない。私立学校なら「〇〇学校に何名進学」とか「運動部が〇〇大会で優勝」とか「結果」を学校経営に生かせるかもしれない。公立学校しかも義務教育の小学校中学校でそれ(結果)が必要なのだろうか。「一人ひとりの個性を大事に教育する」という目標は、企業のように数値化し難い。
②「企業」組織を構成するメンバーは、厳格にタテ社会になっている。そして上位にいるメンバーは「権限(決裁権)」を持っている。そして何を行うか「計画」に基づいて「職務明細」が明らかにされている。経営学で、タテ社会組織はどんな組織も「命令する」「命令される」という関係があるのだ。
③「公立小中学校」はどうだろうか?「校長という命令する権限を持つ人が一人」いるが、学校の構成メンバー同士による「命令する・される関係」はない。大学や高校の事務局・事務室は官僚型社会だし、大学教員は教授を上位とするヒエラルキーになっている。小・中学校は「フラット組織(ナベブタ式組織)」と言われた。つまり、つまみが校長でフタの部分が教職員(もちろん学校事務職員も施設管理員も含めて全教職員が平等・フラットだ)なのだ。実はこれは見方によっては「ネットワーク型の組織」ではないだろうか。年齢や経験年数による先輩後輩はあっても、「命令する・される関係」ではなく、教職員一人一人が「自律」していると考えられないだろうか。
学校によくある「〇〇主任」は上司じゃないのか?って。担当の責任者ではあっても「決定権(権限)」はない。学校では職員会議という合議制の会議が事実上の決定機関のようになっている。法令上は学校長の諮問機関のようになっているが、現実は違う。学校の運営は合議によって成立している。ある人たちからみると「それは組織ではない」と言う。トップダウン的な組織をイメージしているからだ。(それは何らかの結果を残すのが組織だと思ってるからだと思う)
④学校事務職員の職名について考えてみよう。公立学校の事務職員は行政職員として一応タテ社会組織の一員として組み込まれている。しかし、小中学校に一人しかいない事務職員にタテもヨコもない。面白いことに、権限はないが自律した事務職員としてある。自律しているので、小中学校の事務職員は本人の意欲(モチベーション)で多くのさまざまな仕事ができる環境にある。もちろん法令の範囲内で、学校長の裁量下という条件ではあるが、本当にいろいろなことができるのだ。それは逆に「何もしない」という選択をする事務職員もいることを意味する。
事務職員が複数配置されている高校には事務長(行政サイドの管理職)を置くことが学校教育法で決められている。事務長は権限を持っている。法令上、小中学校にも事務長を置くこともできる。実際にそれを行うことができるのは県教委ではなく、市町村教育委員会だ。その小中学校に「事務長職が必要だ」とすれば置くし、必要なければ置かない。置くとなると「職務権限」を決めなければならない。学校長の職務権限は「学校管理規則」や「服務規程」そして「市町村の財務規則」で決められている。そこからどのような職務権限を事務職員に移譲できるというのだろうか。ちょっと疑問。この小中学校での事務長という職は、その在籍した市町村での職なので、事務職員個人に付属する職ではなく、人事異動で他の市町村小中学校へ赴任すれば、当然ながら事務長でなくなる。そして1人配置の小中学校の場合、事務組織としての「事務長」ではなく、経験ある事務職員への属人としての「事務長」だ。いくら市町村の小中学校に事務長という職があっても、新人を事務長にはできない。事務長に任命するには条件が必要だ。
⑤私の退職時の職名は県行政職9級制の5級「専門幹」という名称だった。退職まで8年間「専門幹」だった。その職名は行政の係長か課長補佐と言ったところだ。小中学校には部課制がないので、役所にいれば係長とか課長補佐とか部下のいない担当係長とか、それなりの責任を負わせる役職名が学校では考えられない。確か、東京都には係長という職名を持つ事務職員がいたが、今はどうなのだろうか。「学校事務担当係長」というのがあってもいいかもしれない。愛媛県は市町村の条例規則に関係なく県教委が一定の経験を積んだ県費事務職員に全員ではないが事務長という職名を付けている。
そして、小中学校の事務職員にはその責任がない職種ということで「専門幹」程度でいいんじゃない、というのが県の考え方だ。もちろん労働組合はその考え方に反対し多くの県庁職員が昇格している6級「副参事(課長級)」までと要求し、学校事務職員の何人かは「副参事」となって退職していくようになったが、一定経年を持つ事務職員全員というわけではない。該当者数の何パーセントという状況だ。明確な学校事務職員に対する人事評価基準がないので、組合と県教委との綱引きになっている。学校事務職員の育成計画もないのだし、生徒数1000人の大規模学校で仕事をしようが、山間へき地の数十人の学校で仕事しようが、量なのか質なのか基準がないので評価はできないだろう。学校事務職員は勤務校の大小で評価されるような仕事ではないということだ。大規模校には大規模校の学校事務があり、小規模校には小規模校の学校事務があるのだから。これ文化人類学の用語でいう「多文化主義」と同じだ。西欧文化もアマゾンの○○族の文化も同じ価値。(話がなんだか違う方向にいってしまった)
行政職の職名は都道府県によって微妙に違う。なので職名は県教委の県費負担事務職員に対する考え方にも依存するのかもしれない。自分の勤務する県での職名を考えてみてください。
昇任人事を行う県教委が小中学校で働く事務職員をどのように勤務評価するのか。よく言われるのは「①一人職場で部下もなく②職務権限もない責任もない」と県庁からは市町村学校を見ているらしい。小中学校の校長は学校規模の大小で管理職手当に違いを付けている。大規模学校の校長は大変だから、という理由で特別調整額が上乗せされている。だったら、事務職員も同じにして欲しいと思ってしまう。愚痴を言っても仕方ないが、仕事のモチベーションを上げるにはやはり評価制度が決まっていないと、頑張れない人もいる。定年制延長や再任用制度もあるけれど、仕事を続けるためには制度設計は大きな課題だ。
一般社会では「専門幹?それって何」という感覚だ。こういた職名は世間ではなじみがない。私は「せんもんかん」という音読みを利用して「学校事務専門官」と称していた。それだと一般社会的にも、職名からどんな仕事をしているのか理解してもらえた。(実は名刺にも印刷したのだ)ちょっと権威主義的で上から目線で好ましくないと考えたけど、一般人に説明する時に、私の仕事をイメージしていただくのに役立った。学校事務を専門に行っている人、というイメージで。
⑥さて、話はそんなことではなく、「学校組織」についてだ。ナベブタ式組織を組織と呼べるのか?多くの教育学者や教育評論家たちが議論していた。何故、ナベブタ式組織ではいけないのか?学校現場にタテ型の組織が必要なのか?
「学校長に強いリーダーシップが必要だし、校長を支えるスタッフが必要だ」という意見が70年代に生まれていた。これは当時強かった労働組合対策でもあった。もともと教員には高い職業倫理観が求められているし、実際多くの教員が高い職業倫理観を持って仕事をしていた。多少の個性(クセともいう)は我慢しても、教育技術と教育哲学を後輩の教員は先輩教員から試行錯誤しながら学んでいったのだ。そういった自律的な組織として考えれば、「それも組織でしょ」という学者もいたし、「いいや、それは組織とはいえない」という学者もいた。このころの組織は「自律的」という言葉を嫌っていたのだ。
学校に行政的なタテ社会組織を導入するために、1970年代の教頭法制化、主任制度などを経て、2000年以降、副校長や主幹教諭など新たな職名が教員の中で作られていった。こうして学校は形の上から「行政的なタテ社会的学校組織」に作られていくことになった。
学校という現場が昔から持っていた基本的な理念「どの子も賢く健やかに育てよう」というある意味「穏やかな教育観」の公立学校から、現代は私立学校のように「競争に打ち勝つような教育観」の看板を掲げることが求められるような時代になった。数値目標を達成できる学校組織が求められはじめたのだ。
「地域の教育課題を発見し、それを特色ある学校目標にし、それで学校を経営しよう。」「いっそ学区も自由化にして、保護者が通わせたい学校に作り変えてください。」という社会の見えない圧力がかかってきた。それは不登校問題が社会的な問題となって「教育の改革を願う」保護者が増えてきたためでもある。
⑦国の教育費は国家予算の1割もなく、昔から教職員はオーバーワークで疲弊している。教育費は人件費とイコールだ。人を教育するのは人なのだと思う。機械ではない。様々な教育課題に対応するにはまず人を増やすことだと言いたい。
昔から言われているのは、欧米並みに学級定員数を減らし、教員を増やす。そして学校長を支える学校事務組織を作るために学校事務職員を増やす。公立小中学校にも高校並みの事務職員数を配置し(実際同じ18学級でも、高校は事務職員4人配置だが、小中学校は事務職員1人のみ)、教員が行っている事務作業を請け負うことも可能だ。国だけでなく、県や市町村も財政的に(人的配置含めて)支援する必要があるのだ。それを怠ってきたから、だから現在、教職員のオーバーワーク問題が顕在化してきているのだと思う。
⑧2010年代、長野県事研で「学校組織マネジメント 事務職員版」の研究を行った。私はその研究委員に選ばれた。研究委員会は、その学校組織マネジメントを学校事務職員用に翻訳して一般会員に伝わるような内容を考えた。当時のトレンドは「ドラッカーさん」だ。ドラッカー経営学の基本は「人間の幸せ」にある。ミッション(使命)を明確にし、それを果たす、ということだという。学校事務職員のミッションは憲法26条に書いてある。「学校事務のマネジメント」の方法はいろいろあり、研究委員会でハウツーを情報提供したつもりだ。
⑨さて、ミッションを果たす学校事務職員として、学校目標をどのように支援するか。でもこういったことは、学校組織マネジメントとわざわざ言われなくても、今まで全教職員は学校目標をそれぞれがその役割でミッションを全うしてきたはずだ。全うできないとしたら、社会の多様化によって教職員が多忙化し、自分のミッション(使命)を見失しない、そして、目の前の仕事をこなすことだけが自分のミッションのように勘違いしてしまったことが、様々なトラブルの原因になってしまったのかもしれない。
「教職員の働き方改革」が教職員側からの投げかけによって国が考えざるを得なくなった今日、学校現場が抱え込んでしまった仕事をどのように手放していくか、知恵が求められている。人を増やさずに労働時間を減らせってか?
⑩「共同学校事務室」は、その地域の学校事務職員が「兼務辞令」を利用してフレキシブルに仕事ができるシステムだ。
例えばその地域に4校の小中学校があり、4人の学校事務職員がいれば、4人で4校の学校事務を回すという発想をすることが可能だし、学校現場が抱えている課題の解決方法を学校事務職員サイドから提案できるかもしれない。もちろん、4人は辞令をもらった自分の本務校の学校事務的課題を解決することが優先される。その課題を4人で共有しアイデアを出し助け合うことが「共同学校事務室」のだいご味だ。
A校で成功した事例をB校に合うようにカスタマイズする。C校の課題をみんなで考える。お互いがサポートし合える関係作りが必須だ。
⑪長野県で気をつけなければいけないことは、持続可能な「共同学校事務室」にするには、長野県では市町村単位で設置しないということだ。何故ならば、長野県の県費事務職員の人事異動は3年から4年で全県的に異動するからだ。そして現在少子化で学校の統廃合が進んでいる。場合によっては町村で小学校中学校1校ずつの2校という場合がある。ベテラン事務職員が教育委員会と協働で「共同学校事務室」を条例化したはいいけれど、ベテラン事務職員が異動してしまい、後任に新規採用者が配置される可能性もある。そうなると新規採用者にとって大きな荷物になってしまう。「共同学校事務室」って何?という存在だ。「共同学校事務室」の設置の意味や運営などが厳しいという状況になる。現在、「共同学校事務室」を実施している大町北安曇地区(大町市・池田町・松川村・白馬村・小谷村)や塩尻東筑摩南部地区(塩尻市・朝日村・山形村)が行っているような教育委員会の連合体での「共同学校事務室」が理想だ。全国的にも無い組織形態だと思う。
⑫勘違いしてはいけないのは、「共同学校事務室」を作ることが目的ではなく、この共同学校事務室というツールを利用して地域の教育目標を実現させる、合わせて学校事務職員のミッション(使命)を全うさせることが目的だ。そういったことを含めた、学校事務職員側の組織マネジメント的戦略がないと、行政に利用され(教育委員会の仕事をさせられる)、しんどい「共同学校事務室」組織、重荷になる組織になってしまうことが予想されるので、常に何故(WHY)を問い続ける姿勢が求められる。
⑬「何故、共同学校事務室が必要なんですか?」これを明らかにすることが大事だ。これを明らかにすることができないなら、無理して作ることもない。
「共同学校事務室」を作ること、そして運営していくことは、それなりに大変でしんどく、ベテラン事務職員のリーダーシップが試される。
⑭2021年度(2022年1月)に大北事務研用に作成したスライド
「共同学校事務室のトリセツ」を参考にしていただければと思います。
2021年大北事務研「共同学校事務室のトリセツ(事務職員用)」スライド - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)
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