アップデートする学校事務職員

2050年学校事務職員への伝言

25時限目:2050年の長野県の学校事務「持続可能な学校事務とは何か」

①小中学校に事務職員が配置されて、およそ70年が過ぎた。

 全国的な配置をだいたい1950年とすると2020年で70年。2050年は100年目ということになる。国の法制度はこの国の教育の基本的な部分を設計している。教育行政はその設計図を具体化する役目だ。時代の進行に合わせて、人類の価値観は変容する。「ジェンダーフリー」や「学校という教育施設にとらわれない」という価値観、そして「人口減少」という人口スケールに適応した教育制度への対応に向けて、新しい教育行政が始まっている。「学校事務」もその中で変容していくのだろうと想像できる。

②2021年10月に長野県公立小中学校事務研究会の全体研修で

『持続可能な学校事務とは何か ー2050年の長野県の学校事務』

2021年長野県事務研 研修大会講演スライド - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

という講演(オンライン?映像をYouTubeで配信)を行った。

「共同学校事務室」という法改正がなされ、その対応については自治体の判断となっている。私は長野県の学校事務がそして、学校で働く事務職員が、これから未来に向かってどういったビジョンを持てばよいのか、というヒントとして「長野県的な共同学校事務室」を作っていけばと、講演の最後に提案した。

③2022年1月に「学校間連携」という「共同学校事務室」を運営している大北地区の冬期研修会でビジョンを含めた講演を予定していた。そこで

『共同学校事務室のトリセツ ーシェアする長野県スタイル』

2021年大北事務研「共同学校事務室のトリセツ(事務職員用)」スライド - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

というスライドを用意していた。が、コロナ禍のため8月に延期となった。

④2022年8月に大北事務研夏期研修会で、教育委員会担当者も講演を聴くというので、学校事務職員向けだったスライドを教育委員会職員にも理解できるように内容を大きく変更することにした。コロナ禍でもあったため、オンラインでの講演となった。

2022年大北事務研『共同学校事務室のトリセツー教育委員会と学校事務ー』 - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

講演スライドをリンクしたので、興味のある方はご覧いただきたい。

⑤そもそも「持続可能な」とつけたのには訳がある。それはコンピュータ社会となり人工知能AIがさまざまな場面で利用されることが現実化してきている。そして、将来的に消滅するおそれがある職業として「学校事務職員」が挙げられていた。これは一般事務そのものがコンピュータ化されるので、そういった定型的な事務作業に携わる職業は消滅する可能性が大きいという前提からだ。では、学校事務という仕事はAI化できるのだろうか。う~ん。できる、と言える。デスクワークだけの学校事務なら可能だ。それは、県庁や市町村役場の職員にも同じことが言える。では、どういった学校事務の機能だったら職業として残されるのか。これは是非みんなで考えてほしいのだ。■

 

また、退職後の2018年以降のスライドなどをこちらにリンクするよう目次として一覧にしているので、興味のある方はご覧ください。

目次「2050年の長野県の学校事務」(2018年~2022年) - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

24時限目:学校事務職員Hの仕事(1981~2016)現職中の発表レポート

 退職までの30代40代50代は、ほぼ毎年何かしらのレポートを発表していました。支部教育研究集会の学校事務分科会、地区や県の学校事務研究会で発表したものです。

 この中から、皆さんに読んでいただきたいものを10本くらい選んで公開します。というか、元データをなくしたものもあるので、現在持っているレポートの中からの選択という感じです。内容は、「学校事務の共同実施」関連、「学校組織マネジメント(経営学)」関連などが中心です。

 

■「学校事務職員Hの仕事(1981~2016)」という、レポートのみのブログを作成しました。この一覧表中で公開しているレポートに★をつけ、リンクしました。

 

①2015年(60才)女鳥羽中「学校とわたし」支部事務職員部学習会

②★2015年(60才)女鳥羽中「これからの学校事務をどう考えるかー組織マネジメント的な考え方」安曇野事務研

2016年「これからの学校事務をどう考えるかー組織マネジメント的な考え方を利用して」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

③2015年(60才)女鳥羽中「学校組織マネジメント研修(発展)」上伊那事務研

④★2015年(60才)女鳥羽中「事務室ポイントカードー子どもと学校組織マネジメント」県事研第9分科会

2015年「事務室ポイントカードー子どもと学校組織マネジメント」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑤★2015年(60才)女鳥羽中「ゼログラビティ(後編)学校事務の共同実施」支部教研

2014年2015年「単数配置学校事務職員のセイフティネットをどのように構築するか」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑥★2014年(59才)女鳥羽中「ゼログラビティ(前編)学校事務の共同実施」支部教研

2014年2015年「単数配置学校事務職員のセイフティネットをどのように構築するか」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑦2013年(58才)豊科南中「学校組織マネジメント基礎の基礎講座テキスト」地区研

⑧2012年(57才)豊科南中(県事研カリキュラム策定委員会 全講座研修カリキュラムシラバス)

⑨2011年(56才)豊科南中「学校事務職員の研修とキャリアデザイン」地区研

⑩2010年(55才)鎌田小(県事研研修計画策定員会 第4次改訂研修計画)

⑪★2010年(55才)鎌田小「ロハスな学校事務―健康で楽しい学校事務スタイル」支部教研

2010年「健康で楽しい新しい学校事務スタイル」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑫★2009年(54才)鎌田小「新しい学校施設・設備の考え方について」県事研第7分科会

2009年「新しい学校施設・設備(学校建築)の考え方について」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑬★2009年(54才)鎌田小「エコロジカルな学校環境を考えるーヒートアイランド対策」支部教研

2009年「エコロジカルな学校環境を考える」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑭2008年(53才)鎌田小「学校経営参画 学校組織マネジメント概要」県事研第10分科会

⑮★2008年(53才)鎌田小「持続可能な学校事務を目指してー学校教育目標を支援する学校事務職員」地区研

2008年「持続可能な学校事務職員を目指して」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑯★2007年(52才)筑北中「学校教育目標をどう学校事務に反映させるか」支部教研

2007年「学校教育目標をどう学校事務に反映させるかー筑北中2005-2007」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑰2006年(51才)筑北中(県事研事務指導書委員会 指導書デジタル化研究調査レポート)

⑱★2005年(50才)筑北中「市町村合併と学校事務の共同実施について」支部教研

2005年「市町村合併と学校事務の共同実施について」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

⑲2004年(49才)大町南小(県教組未来を拓く学校事務 報告書)

⑳2003年(48才)大町南小(県教組未来を拓く学校事務研究委員会 調査レポート)

㉑2002年(47才)大町南小(県事研情報管理研究委員会 関ブロ発表レポート)

㉒2001年(46才)梓川中(県事研情報管理委員会 調査レポート)

㉓2000年(45才)梓川中「県費学校事務職員の高齢化問題についてー仕事とユング心理学支部教研

㉔1999年(44才)梓川中「学校事務職員のための教育社会学の基礎知識」塩筑事務研

㉕1998年(43才)梓川中「学校事務職員の高齢化(中高年化)問題―2010年の学校事務」支部教研

㉖★1997年(42才)山形小「仕事の進め方と事務改善」県事研第5分科会

1997年「仕事の進め方と事務改善」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

㉗1997年(42才)山形小「学校の地震対策について考える」支部教研

㉘1996年(41才)山形小「学校の民族誌ー事務職員の仕事と定数」支部教研

㉙1995年(40才)中川小「教育課程と教材備品の活用(会田小千邑悟志共同」支部教研

㉚1994年(39才)中川小「学校事務職員と教育課程の関わりー国際理解教育」支部教研

㉛1993年(38才)中川小「子どもの権利条約と学校事務職員の関わり」支部教研

㉜1992年(37才)読書小「自治体予算と学校予算」支部教研

㉝1991年(36才)読書小「環境問題と事務職員の役割」支部教研

㉞1990年(35才)読書小「旅費の予算化について」支部教研

㉟1989年(34才)読書小「教育環境整備と事務職員の役割ーニューオフィス」支部教研

㊱1989年(34才)読書小「長野県における地方行革・市町村費事務の引き上げ」組合

㊲1988年(33才)中川小「学校のきまりと受益者負担支部教研

㊳1987年(32才)中川小「教育形態のひとつとしてのオープンスクール

              ー愛知県緒川小学校の個性化教育に学ぶ」支部教研

㊴1986年(31才)中川小「全職員参加の予算編成を進めるにはどうあればよいか」教研

㊵1985年(30才)吉田小「学校事務職員の執務環境について」支部教研

1984年(29才)吉田小「学校事務職員の労働心理学的考察ー学校事務職員のアイデンティティとは何か」県事研みやま荘研修会

 ☞注:「1985年学校事務誌12月号」へ『揺れる心とアイデンティティ』と改稿し掲載

『学校事務誌1985年12月号』揺れる心とアイデンティティ - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)

㊷1983年(28才)吉田小「予算編成時に父母負担軽減を考える」組合県学校事務集会

㊸1982年(27才)吉田小「コンピュータ問題について考えたこと」組合県青年集会

㊹1981年(26才)池田小「たった一人の事務職員ー仕事と悩み」支部教研

 ☞注:この1枚レポが1984年の「学校事務職員の労働心理学的考察」へと発展する

*「学校事務職員Hの仕事」は1981年26才から始まる。■

23時限目:学校事務の知的生産の道具と技術

書き忘れたことがあったので、「ぽち袋」として書き残しておきたい。

①それは「学校事務の知的生産の道具と技術」だ。

 「それはなんだ」と思うかもしれない。

 何かを考える時や気持ちよく仕事をするために必要な道具と技術のことだ。こういったことは、小中学校に事務職員として就職した時から興味を持っていたし、このことで研究会の講座用レポートを書いたことがある。(ブログ『学校事務職員Hの仕事』で公開している1997年「仕事の進め方と事務改善」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

②全国に事務用品や文房具に興味を持つ学校事務職員仲間は多い。若くして亡くなってしまった長野県の学校事務職員だったM君は「学校事務」誌2021年に文房具の記事を1年間連載していた。彼が亡くなったのは残念だ。現在の事務用品の進化についていくには、事務用品カタログを読むことを勧める。もちろん教材備品カタログも仕事として読むことを勧める。カタログから学ぶことも多い。

③古い話で申し訳ないが、仕事をしていた若い頃、80年代90年代にアナログ機器からデジタル機器への移行期に出会ってしまった人間として、記録として書き残しておく。

④▼かな文字タイプライター

 1970年代後半、学校事務職員として就職した私は、当時傾倒していた文化人類学者の梅棹忠夫さんが書かれた『知的生産の技術』(岩波新書)を飽きるほどに読んでいた。この本は梅棹さんがフィールド調査に出かけてどのように情報を収集して整理して自分の考えをまとめるか、といった技術が書かれていた。

その影響で、私は学校というフィールドで参与観察する一人の事務職員という文化人類学者だと自分で考えていた。教育現場で暮らす教員族はどういった文化構造を持ち行動様式はどうなんだ、と学校現場を俯瞰していた。

この本の中で、特に魅かれたのは「かな文字タイプライター」だった。

⑤1960年代、梅棹さんは欧米人の様にタイプライターで日本語の手紙を打ってみたいと考えた。まだコピー機ができる前だったので、手紙のコピーをするのにタイプライターはカーボン紙を挟めば複写コピーが作成できる。それで、最初は英文タイプライターでローマ字手紙を打っていたらしい。しかしそれは読み難いと不評だった。梅棹さんのすごいところは、それで「ひらかなタイプライター」を丸善に特注した。「カタカナタイプライター」も特注した。かな文字はいい感じだが、やはり日本語は漢字かな混じり文だ。1990年の日本語ワードプロセッサーが発売されるまで漢字仮名混じり文の作成は待たねばならない。

⑥私は1980年に、丸善で市販されていた「ひらかなタイプライター」を飯田市の文具屋に注文した。その後「カタカナタイプライター」も購入した。

 このタイプライターを学校事務の仕事に利用できないか?当時の予算執行は支出負担行為決議票を手書きで作成していた。市町村にもよるが4枚複写という所もあった。複写のため筆圧が強くなり、手や腕が痛くなった。私は普段から筆圧が高くて、この仕事は一苦労だった。私は数字の部分をタイプライターで打つことにした。予算伝票をカタカナタイプライターにくるくるとセットしてパチパチと打つのだ。うん!いい感じだ。

 2000年以降に市町村財務会計が電算化されるまで、私はタイプライターで作成していた。内容欄などの日本語文字部分はボールペンで記入したが、それはそれで、何だかオフィスで仕事している、という自己満足だった。これも、仕事を楽しくするにはどうするかといった私なりの工夫のひとつだった。

⑦やがて、ワープロ、ノートパソコンと事務機器は進化していく。現在はPCはもちろんだがタブレットなど必須の時代だ。どのように仕事に生かされるのか、ソフトやコンテンツ等、学校事務研究会も活用研究が必要だ。研究されているのだろう。民間企業が進めているDXも参考にしたい。

 現在は事務研は地域で情報共有のために事務職員仲間でチャットなど行っているのだろうか。

⑧▼ファイリング

 私が採用された地区は長野県の飯田下伊那地方だ。ここの事務研は先進的な地区で、優秀な先輩方が大勢いた。

 1970年代からすでに学校の文書をすべて「バーチカル・ファイリング」という方法で分類整理活用していた。70年代の後半に採用された私も、このファイリングの方法論を習得した。文書は分類整理されなければ活用されない。偉大な先輩たちの教えのおかげで、80年代人事異動で県内の各地へ赴任してもファイリング用品を購入して文書を分類して回った。

 しかし、私は90年代からファイリングの方法をバーチカル方式(垂直)から簿冊方式(水平)に変更することにした。それは「学校事務の見える化」が必要だと思ったからだ。文書分類表は県教委の準則に則ってほぼ全県統一基準なので、それを壊すわけにはいかない。文書の活用・保管・保存の方法を変えたのだ。松本地域はフラットファイルによるファイリングだ。このファイルをファイリングキャビネットにしまい込むのではなく、職員に「見える化」するため書棚に並べる。学校事務職員の多くは単数配置なので、誰でも書類の所在がわかりアクセスできる方法として、書棚に文書分類表に則って並べてあることはメリットが大きい。もちろん個人情報もあるのでカギのかかるガラスの書棚が望ましい。

⑨▼「教務手帳ノート(事務職員版)」

 教務手帳をどのように活用するか、悩んでいる人は多い。いらない、という事務職員もいる。しかし、スケジュール帳は必要だ。セルフマネジメントをするには、やはりスケジューリング技術が必要だ。ビジネス社会でシステム手帳が大ブームした頃、私も購入して使用してみた。しっくりこなかった。

 教務手帳は毎年、おなじ判型でおなじ体裁、というのがいい。2000年以降、学校事務日誌的な、TO DO的な利用法をしてきた。そして、教頭から学校月暦が配布されれば、学校事務の月スケジュールを作成し、学校週暦が配布されれば、学校事務の週スケジュールを立てるようにした。そして毎朝いきなり仕事を始めずに今日のTO DOを書き出して仕事を始めた。

⑩現在はスケジューリングもデジタル化されているのでしょうか。個人の好みもあるので、方法はいろいろかもしれない。しかし、地区やもっと広い地域で情報共有するためにデジタル化は必須だろう。

 新しい時代の学校事務職員の皆さんのデジタルから先のクラウド的な学校事務を開発していくと楽しいかもしれない。

 でも、教育現場は人間と人間のリアルな場所。そこだけはデジタル化できないのでご注意を。■

22時限目:学校事務職員年代記スターウォーズ的サーガ

①ブログ「アップデートする学校事務職員」をお読みいただきありがとうございました。ブログのベースになった、私が現職中の発表レポートや退職後の講義や講演で使用した文化人類学や教育社会学経営学の知識と、小学校から好きだった理科的なこと(地学・生物・物理・化学)やSF小説SF映画などをグルグルかき混ぜて、書いてみました。

②私はこのブログで、「学校事務職員はすでにバージョンアップされている」ことを書いてきました。そのことに気づくかどうかは学校事務職員みなさまのアンテナの感度によると思います。

③絵本「スイミー」で小さな魚が大きな魚に食べられないように集団となって防衛しています。NHKの海の映像で、小魚の集団が進行方向を突然変えるのを見たことがあります。その集団の向きを変えるのはに何なのか?集団の意思なのか?それとも指令を出す小魚がいるのか?海洋学者が映像を研究していました。研究結果はこうでした。先頭集団の2番目あたりにいる小魚が向きを変えている。おおおおおお!先頭を走っている小魚ではないんですね。なるほど。暗示的ですね。これは食物連鎖の「食べられてしまう集団」の防衛本能だと思いますが、結局、80%は食べられてしまうそうです。

④南極のペンギンが子どもに食べさせるエサのために海に向かって歩いていき海に飛び込みます。ところが海にはペンギンを食べるシャチとかいるんですね。慌ててペンギンたちは陸上へ上がりますが、その時逃げ遅れたペンギンが何羽か食べられてしまい、満足したシャチがどこかへいなくなります。さあ、子どものためにエサを採りにまた海へ入らなければなりません。でもシャチがいるかもしれません。ここで1羽のペンギンが海へ飛び込みます。どうやらシャチはいないようです。それを見たほかのペンギンたちが次々と海に飛び込みます。

この勇気ある行動を「ファースト・ペンギン」と言います。(これは人間が勝手にそういうだけで、ペンギンに勇気というものがあるのかどうかはわからない。おそらく本能的なものだと思う)この行動も、何か暗示的ですね。

⑤バージョンアップするには、バージョンアップに持っていく前に少しづつアップデートする必要があります。今回のブログはそのアップデートするための参考になればいいかなあ、という思いで書きました。

⑥最後に「おみやげ」として、SF映画スターウォーズ」になぞらえて作った「学校事務職員ウオーズ」の想像未来図を紹介します。これは退職前の2015年の12月に、学校事務職員のある会で話のネタとして配布した物です。

 

 

 

内容は私の勝手な想像です。映画に合わせてこじつけただけなので、笑ってみてください。コロナ禍前だったので、みんなで学校事務のことをあーだこーだと言いながらお酒を酌み交わした時代のお話です。■

21時限目:知識創造スパイラル

①いよいよ21時限目となってしまった。このブログもそろそろ終わりにしようと考えている。私はすでに現職の学校事務職員ではないし、ましてや学者や研究者でもないので、ここらあたりで終わりにするのがいいように思う。

②21時限目のテーマは「知識創造スパイラル」だ。

 人工知能問題が出たときに、学校事務職員という仕事は無くなるだろう、と予想された。それでなくても、少子高齢化で、子どもは減っており、高齢者も寿命を全うして自然減となっていく。人口は減り続け、経済も縮小社会へと向かうのだろう。学校数(学級数で算定されるが)に基づく学校事務職員数は、学校が統廃合になれば減少することは容易に想像できる。

 では人工知能問題でも、教員は残る仕事なのか?そもそも、学校は残るのか?ネット社会になって、本物の教員がいなくても、アバターのようなバーチャル教員がディスプレイの向こうで授業することも可能になっている。子どもを学校という施設に集めなくても知識の伝授という教育は可能だ。そうすれば「いじめ」もなくなる。「不登校」という考え方さえも無くなってしまうのだ。SF的には可能な社会に向かっている。

 でも、と思う。人間という生物は集団生活をする動物だ。教育という営みはネット社会の中にあるのではなく、リアルな人間集団の中で大きな効果を発揮させることが可能なんだろうと、個人的に思う。

③さて、話は「知識創造スパイラル」だ。私がこのことを知ったのは1998年。一橋大学野中郁次郎教授が経営学の中で提案されたアイデアだ。(経営学の本の中で読んだ。すごいアイデアに感動した)。

 野中教授は、日本的経営が何故日本企業の発展に役立ってきたのかを研究してきた。それは、個人のアイデアや知識経験が、グループで話し合われて大きな知識となり、それが大きな組織の知識となって蓄積され、そこにまた個人のアイデアが共有化されてという正の上昇スパイラルがあることを明らかにされたのだ。

④知識は「形式知」と「暗黙知」に分けられる。「形式知」はマニュアルなどだ。例えば、長野県の学校事務研究会で作成された「学校事務指導書」などだ。これは誰が読んでも平等に知識として共有できる「形式知」だ。ところが「暗黙知」は言語や文章では表現が難しい個人的なノウハウのようなものだ。

⑤学校事務で考えてみよう。仕事の分類や書類の書き方や法令などの「知識(形式知)」と学校事務職員がそれぞれの学校で現場に合わせて行ってきた「知識(暗黙知)」がある。「知識(形式知)」は事務研などで統合されて文字化されてきたが「知識(暗黙知)」は文字化されてきていない。

 この「暗黙知」は「暗黙知」を持つ人から学ぶことになる。

⑥野中教授は「形式知」と「暗黙知」の相互作用が組織を発展させるとし、それは次のようなスパイラルだとした。

1「共同化作用」とは、

個人の「暗黙知」を他者が共有していく(先輩と後輩:個)

2「表出化作用」とは、

この「暗黙知」から「形式知」に変換していく(グループ)

3「連結化作用」とは、

今度は「形式知」から「形式知」を作る(組織)

4「内面化作用」とは、

この組織の「形式知」を個人の「暗黙知」にする。

1へ戻る(1から4へと繰り返す相互作用)

 

⑦知識や知恵は、人から人へ、集団から集団へ、というのが集団生活する人間の学びの基本なんだろう。「共同学校事務室」が目指すのはこの「知識創造スパイラル」なんだと思う。

⑧学校で、一人配置の学校事務職員として悩んだ時に、職場で相談する先輩事務職員もいない状況の中、「こういった時に、あの先輩ならどうするのだろうか」と思ったことがある。相談する相手がいないのだ。これは経験年数に関係なく、いくつになっても「学校に一人しかいないこと」に学校事務職員の大きな弱点があることを私は知った。しかし、やがてそのことに慣れてしまい、何でも自分で決めて、自分の好きなように仕事を進めていくことになり、やがて誰のための仕事なのかも忘れてしまい、自分の都合だけを優先した学校事務の日々があったことは私は忘れない。私の学校事務職員としての闇の歴史だ。

⑨学校事務職員として退職する年齢となり、最後のお勤めする学校へ赴任したときに、自分が学んできた知識(形式知暗黙知)を生かして終わりにしたいと考えていた。

勤務する学校を分析する。この学校で私の「学校事務知」はどのように活用すればよいのだろうか。そして、自分がこの学校を去った時に後任の事務職員が困らないように、この学校のシステムを切り替えていきたい。そう強く思った。

⑩「組織マネジメント」それは仕事をする誰もが幸せになるようなマネジメントを学校事務職員サイドから提案していきたいと考え、最初に行ったことは、「この学校の大量の事務を1人でどのようにしてきているか」を明らかにすることだった。「学校事務の見える化」だ。教員も忙しいかもしれないが、こちらも忙しい。本校と分校の2校分の仕事を1人で行っているのだから。まず、身内の教職員にこの学校の学校事務の大変さを認知してもらいたいと考えた。1,事務職員が抱える書類の見える化。2,毎日の仕事のスケジューリングをホワイトボードに書いて、職員に見える化。3,年度末に学校事務の総まとめで仕事の数値化(数値で見せる化)。そうすると、翌年、校務分掌から仕事が減っていった。「大変たいへん」と愚痴を言っても始まらないのだ。何がどれくらい大変なのかを周知しないと、相手は認識しない。

⑪退職時に他郡市の組合事務職員部から学習会に招かれた。そこで話してほしいと依頼された内容は、「これからの学校事務をどう考えるか」というテーマだった。60分で「組織マネジメント」のエッセンスのような話をしてみた。参考になったのかどうか、わからない。■

その時のスライドがこちら。

2016年「これからの学校事務をどう考えるかー組織マネジメント的な考え方を利用して」 - 学校事務職員Hの仕事(1997~2016) (hatenablog.com)

20時限目:ジョブ型公務員?と「ゆでガエル問題」

①20時限目は、2時限目にも書いた「学校事務職員」という職業について、もう少し違う角度から書いてみる。現在の長野県の「学校事務職員」の採用方法と年齢構成も加味して書いてみた。

②15時限目で「大学生に学校事務をプレゼン」したことを書いた。

 教育学部の学生に「学校事務」と「学校事務職員」のことについて講義したのだが、「学校教育」というシステムに必要な職種「教員」という職業と同じように、「学校事務職員」という職業も必要となったことを話した。そして「学校教育」に「学校事務」という分野から私たちが関わっていることを話した。

③学校教育法に学校に必要とされる必置職員が明示されている。

 国が責任もって配置する職員は義務教育費国庫負担法で人件費も補助することになっている。つまり教育職員と事務職員はセットなのだ。そして、これら職員は都道府県単位で雇用して、県が市町村へ人的配置することになっている。

④教育職員は教特法により県教委が「選考試験」を行い、事務職員は県人事委員会が「競争試験」を行う。教育職員は教員免許が必要な資格職業だが、事務職員は資格を必要としないからだ。長野県人事委員会が行う「市町村立小中学校事務職員採用試験」というのが小中学校専任の事務職員採用試験の名称だ。学校事務職員は採用されたら教育現場で退職するまで仕事をする。だから、教育現場に配置する以上、教育に関する何らかの知識は必要となる。しかし2時限目で書いたように、採用後の学校事務職員になるための研修が無い。何度も言うが、これはおかしい。採用試験は県人事委員会で採用は県教育委員会だから、採用した県教育委員会が学校事務職員としてちゃんと仕事ができるように研修する必要がある。事務職員だから事務作業だけすればいい、という発想は悲しくないか。教育に関する知識は必要ないと考えているのかもしれない。

⑤小中学校専任の事務職員を正規採用したんだから、県教委に学校事務職員育成プランを作成してほしい。ここんとこはこのブログで何回も書いた。2022年に専門誌「学校事務」で政令指定都市横浜市が学校事務職員の研修内容に教育関係の講座を設定したという記事を読んだ。教員免許を持つ学校事務職員もいるが、全国的には多くないだろう。事務職員が授業をするわけではないので教員免許は必要ないが、子どもの見方や対応の仕方など、子どもと関わることが多いので、そういった分野の研修は必須だと思う。

⑥さて、話がそれてしまったかもしれない。長野県における学校事務職員採用の話だ。長野県は県職員も小中学校事務職員も採用年齢を35歳まで引き上げている。

県職員は初級職18歳~21歳、上級職22才~35歳と分けているが、

小中学校事務職18歳~35歳と一括になっている。

長野県の教員選考は20歳~59歳だ。(実際58歳の新規採用者がいた)

多様化した時代となり、社会経験のある公務員の雇用も必要だし、教育現場も変化が求められている。  

⑦日本社会の雇用は以前「日本型雇用」として、新卒一括採用で終身雇用、年功序列賃金というのが普通だった。つまり、雇用には「正規雇用」しかなかった。しかし2000年以降の新自由主義経済による雇用の自由化で、「非正規雇用」が増え、欧米型の契約雇用や労働力の流動性を働きかける転職サイトなどの雇用が目立ってきた。公務員もデジタル専門職のような職種も出てきている。

⑧雇用形態を「ジョブ型」「メンバーシップ型」と考えることが話題になった。

 日本企業の多くは今まで「メンバーシップ型」だった。これは仕事を特定せず、様々な仕事を経験して専門ではないオールラウンドな職員を育成して、年功序列を基本としてきたシステムだ。

 この雇用システムの中に「ジョブ型」というのが導入されてきている。「ジョブ型」とは特定の仕事を行う資格職のようなものだ。例えば、臨時教員は教員免許という資格を持っているので欠員の生じた学校で雇用される。そういったイメージだ。欧米資本の企業は最初からこの雇用システムが多く(資格は必要としないが、「自分には何ができる」というアピールが必要)、日本企業でのこの雇用方法は過渡期だ。

⑨だとしたら、「学校事務職員」は「ジョブ型」?と思えなくもないとも考えた。

 「学校事務職員」に専門性はあるのか?専門性を考えると、私は「学校事務職員に、もっと教育関連の研修を」と考えてきた。「教育」と「行政」のハイブリッド職種が「学校事務職員」ではないかと考えてみた。

⑩現職中に私は地区の事務研で「学校予算と教育課程」をじょうずにつなぐ研究をみんなで行ってきた。そういった研究の先に「教育行政職」としての専門性が培かわれてくるのだと思った。学校事務職員は、教育現場で教員とは違う視点でよりリアルな学校教育現場を見ているわけだし、自分の勤務する学校だけにこだわらず、地域の他の学校なども含めて大きな視点からこの地域の教育を考えることができるのだと。思うのだが。

⑪「教育行政職」という専門職員。これだと、文部科学省の職員も同じ、だ。

 長野県の学校事務職員の研究会などで、「私たちは教育行政職だ」というと「行政」という言葉にアレルギーを持つ学校事務職員がいた。「行政」は何か敵のように勘違いしているのだ。学校などの教育機関も行政機関の一つだし、そこで働く公務員は大きく行政職員というカテゴリーなのだが。その方の言われるには「学校事務職員は学校事務職員、教育に寄り添う職員」ということらしい。私には意味がわからない。

⑫さて、仮に「学校事務職」を「ジョブ型公務員」にしようとするなら、専門性を何かで担保しなければならない。それはやっぱり何か公的な資格を必要とするだろう。愛知教育大学で進めている資格や社会教育的な資格、あるいは教員免許も含めて、ということになる。それだと、1960年代に巻き起こった学校事務員の教育職化「事務教諭」論争を思い出させる。この「ジョブ型」やっぱ、何か違うよなあ。「学校事務職員」は、専門職にあてはまらないということか。

⑬話しを変えてみる。経営学の話題で「ゆでガエル問題」というのがある。

 それは、二つのお鍋を用意して火にかける。一つは沸騰したお湯、もう一つはぬるま湯。ここにカエルを入れる。沸騰したお湯に入れられたカエルはびっくりしてお鍋から飛び出す。ぬるま湯のカエルは、じっとしているが、やがてぬるま湯が沸騰してしまい、飛び出すタイミングを失ってそのままゆでガエルになってしまう、という話しだ。この話は、社会環境の変化が急激だと多くの人が気づいて何か対策を考えるが、変化が緩慢だと対策を考えるのが後手後手になって結局何もできなかった、という例えなのだ。学校事務の現場はどうだろうか?

⑭今の仕事、湯加減はどうですか?熱いですか?ぬるま湯ですか?

 長野県の小中学校事務職員の年齢構成を見たときに、団塊の世代が退職し、団塊ジュニア世代の退職がこの10年で始まる。長野県の小中学校事務職員の配置数のピークは1990年代の600人だったものが、2020年代になって500人程度になっている。少子高齢化で学校の統廃合も進んでいる。ベテラン事務職員の皆さんとこれから採用されるデジタルネイティブの事務職員の皆さんと、新しい長野県の学校事務を考えてみる時期になってきたように思う。■ 

19時限目:学校組織と共同学校事務室

 19時限目になりました。今回は「学校組織」について考えてみたい。

経営学の「組織論」はどちらかというと「企業組織」を中心に書かれている。

  40代になって経営学を自主勉強するようになって、いろいろな本を読んでみた。学校をもっとビジネス的にスマートにならないのだろうか、というのが発端だ。そして一人の学校事務職員が学校の中で何ができるのだろうか、という解答を求めてのことだった。企業に学ぶべきことは多くある。特に事務管理や危機管理だ。だがその時に思ったのは「学校組織を企業組織と同じように考えるのはどうなのかなあ」ということだった。

 2000年代に入って、中教審答申で「学校にもっとマネジメントを」と言われて、全国の学校長対象に「学校組織マネジメント」の研修が始まった。管理職にもっと経営学的な知識とスキルを身に付けてほしいということらしい。私はそのことについて違和感を感じていた。

 小中学校だって「教育目標」を持って教育活動を行ってきている。毎年入れ替わる人事異動で、配置された個性ある教職員を生かし、その学校その学校の特性にあった学校組織を作ってきたはずだ。学校事務職員だっていろいろだ。しかし、こういった学校の組織は、企業からみればそれは「組織」ではなく烏合の「集団」に見えたのだろう。

 「組織」は共通の目標を達成するために構成員がそれぞれに与えられた業務を行う集団、というような意味だ。「学校」も「よりよい教育」という目標に教職員全員が向かうのだから、ある意味「学校」は「組織」になっているのだと思う。

 戦後、学校教育法ができ、全国の学校はその条文(学校教育法17条(目的)18条(目標))に書かれた内容を元に「学校教育目標」を作って遵守してきた(つまり教育目標を持って全教職員で教育活動を行ってきた)のだ。でもそれは企業と違って「結果」が現れにくいからかもしれない。私立学校なら「〇〇学校に何名進学」とか「運動部が〇〇大会で優勝」とか「結果」を学校経営に生かせるかもしれない。公立学校しかも義務教育の小学校中学校でそれ(結果)が必要なのだろうか。「一人ひとりの個性を大事に教育する」という目標は、企業のように数値化し難い。

②「企業」組織を構成するメンバーは、厳格にタテ社会になっている。そして上位にいるメンバーは「権限(決裁権)」を持っている。そして何を行うか「計画」に基づいて「職務明細」が明らかにされている。経営学で、タテ社会組織はどんな組織も「命令する」「命令される」という関係があるのだ。

③「公立小中学校」はどうだろうか?「校長という命令する権限を持つ人が一人」いるが、学校の構成メンバー同士による「命令する・される関係」はない。大学や高校の事務局・事務室は官僚型社会だし、大学教員は教授を上位とするヒエラルキーになっている。小・中学校は「フラット組織(ナベブタ式組織)」と言われた。つまり、つまみが校長でフタの部分が教職員(もちろん学校事務職員も施設管理員も含めて全教職員が平等・フラットだ)なのだ。実はこれは見方によっては「ネットワーク型の組織」ではないだろうか。年齢や経験年数による先輩後輩はあっても、「命令する・される関係」ではなく、教職員一人一人が「自律」していると考えられないだろうか。

 学校によくある「〇〇主任」は上司じゃないのか?って。担当の責任者ではあっても「決定権(権限)」はない。学校では職員会議という合議制の会議が事実上の決定機関のようになっている。法令上は学校長の諮問機関のようになっているが、現実は違う。学校の運営は合議によって成立している。ある人たちからみると「それは組織ではない」と言う。トップダウン的な組織をイメージしているからだ。(それは何らかの結果を残すのが組織だと思ってるからだと思う)

④学校事務職員の職名について考えてみよう。公立学校の事務職員は行政職員として一応タテ社会組織の一員として組み込まれている。しかし、小中学校に一人しかいない事務職員にタテもヨコもない。面白いことに、権限はないが自律した事務職員としてある。自律しているので、小中学校の事務職員は本人の意欲(モチベーション)で多くのさまざまな仕事ができる環境にある。もちろん法令の範囲内で、学校長の裁量下という条件ではあるが、本当にいろいろなことができるのだ。それは逆に「何もしない」という選択をする事務職員もいることを意味する。

 事務職員が複数配置されている高校には事務長(行政サイドの管理職)を置くことが学校教育法で決められている。事務長は権限を持っている。法令上、小中学校にも事務長を置くこともできる。実際にそれを行うことができるのは県教委ではなく、市町村教育委員会だ。その小中学校に「事務長職が必要だ」とすれば置くし、必要なければ置かない。置くとなると「職務権限」を決めなければならない。学校長の職務権限は「学校管理規則」や「服務規程」そして「市町村の財務規則」で決められている。そこからどのような職務権限を事務職員に移譲できるというのだろうか。ちょっと疑問。この小中学校での事務長という職は、その在籍した市町村での職なので、事務職員個人に付属する職ではなく、人事異動で他の市町村小中学校へ赴任すれば、当然ながら事務長でなくなる。そして1人配置の小中学校の場合、事務組織としての「事務長」ではなく、経験ある事務職員への属人としての「事務長」だ。いくら市町村の小中学校に事務長という職があっても、新人を事務長にはできない。事務長に任命するには条件が必要だ。

⑤私の退職時の職名は県行政職9級制の5級「専門幹」という名称だった。退職まで8年間「専門幹」だった。その職名は行政の係長か課長補佐と言ったところだ。小中学校には部課制がないので、役所にいれば係長とか課長補佐とか部下のいない担当係長とか、それなりの責任を負わせる役職名が学校では考えられない。確か、東京都には係長という職名を持つ事務職員がいたが、今はどうなのだろうか。「学校事務担当係長」というのがあってもいいかもしれない。愛媛県は市町村の条例規則に関係なく県教委が一定の経験を積んだ県費事務職員に全員ではないが事務長という職名を付けている。

 そして、小中学校の事務職員にはその責任がない職種ということで「専門幹」程度でいいんじゃない、というのが県の考え方だ。もちろん労働組合はその考え方に反対し多くの県庁職員が昇格している6級「副参事(課長級)」までと要求し、学校事務職員の何人かは「副参事」となって退職していくようになったが、一定経年を持つ事務職員全員というわけではない。該当者数の何パーセントという状況だ。明確な学校事務職員に対する人事評価基準がないので、組合と県教委との綱引きになっている。学校事務職員の育成計画もないのだし、生徒数1000人の大規模学校で仕事をしようが、山間へき地の数十人の学校で仕事しようが、量なのか質なのか基準がないので評価はできないだろう。学校事務職員は勤務校の大小で評価されるような仕事ではないということだ。大規模校には大規模校の学校事務があり、小規模校には小規模校の学校事務があるのだから。これ文化人類学の用語でいう「多文化主義」と同じだ。西欧文化もアマゾンの○○族の文化も同じ価値。(話がなんだか違う方向にいってしまった)

 行政職の職名は都道府県によって微妙に違う。なので職名は県教委の県費負担事務職員に対する考え方にも依存するのかもしれない。自分の勤務する県での職名を考えてみてください。

 昇任人事を行う県教委が小中学校で働く事務職員をどのように勤務評価するのか。よく言われるのは「①一人職場で部下もなく②職務権限もない責任もない」と県庁からは市町村学校を見ているらしい。小中学校の校長は学校規模の大小で管理職手当に違いを付けている。大規模学校の校長は大変だから、という理由で特別調整額が上乗せされている。だったら、事務職員も同じにして欲しいと思ってしまう。愚痴を言っても仕方ないが、仕事のモチベーションを上げるにはやはり評価制度が決まっていないと、頑張れない人もいる。定年制延長や再任用制度もあるけれど、仕事を続けるためには制度設計は大きな課題だ。

 一般社会では「専門幹?それって何」という感覚だ。こういた職名は世間ではなじみがない。私は「せんもんかん」という音読みを利用して「学校事務専門官」と称していた。それだと一般社会的にも、職名からどんな仕事をしているのか理解してもらえた。(実は名刺にも印刷したのだ)ちょっと権威主義的で上から目線で好ましくないと考えたけど、一般人に説明する時に、私の仕事をイメージしていただくのに役立った。学校事務を専門に行っている人、というイメージで。

⑥さて、話はそんなことではなく、「学校組織」についてだ。ナベブタ式組織を組織と呼べるのか?多くの教育学者や教育評論家たちが議論していた。何故、ナベブタ式組織ではいけないのか?学校現場にタテ型の組織が必要なのか?

「学校長に強いリーダーシップが必要だし、校長を支えるスタッフが必要だ」という意見が70年代に生まれていた。これは当時強かった労働組合対策でもあった。もともと教員には高い職業倫理観が求められているし、実際多くの教員が高い職業倫理観を持って仕事をしていた。多少の個性(クセともいう)は我慢しても、教育技術と教育哲学を後輩の教員は先輩教員から試行錯誤しながら学んでいったのだ。そういった自律的な組織として考えれば、「それも組織でしょ」という学者もいたし、「いいや、それは組織とはいえない」という学者もいた。このころの組織は「自律的」という言葉を嫌っていたのだ。

 学校に行政的なタテ社会組織を導入するために、1970年代の教頭法制化、主任制度などを経て、2000年以降、副校長や主幹教諭など新たな職名が教員の中で作られていった。こうして学校は形の上から「行政的なタテ社会的学校組織」に作られていくことになった。

 学校という現場が昔から持っていた基本的な理念「どの子も賢く健やかに育てよう」というある意味「穏やかな教育観」の公立学校から、現代は私立学校のように「競争に打ち勝つような教育観」の看板を掲げることが求められるような時代になった。数値目標を達成できる学校組織が求められはじめたのだ。

「地域の教育課題を発見し、それを特色ある学校目標にし、それで学校を経営しよう。」「いっそ学区も自由化にして、保護者が通わせたい学校に作り変えてください。」という社会の見えない圧力がかかってきた。それは不登校問題が社会的な問題となって「教育の改革を願う」保護者が増えてきたためでもある。

⑦国の教育費は国家予算の1割もなく、昔から教職員はオーバーワークで疲弊している。教育費は人件費とイコールだ。人を教育するのは人なのだと思う。機械ではない。様々な教育課題に対応するにはまず人を増やすことだと言いたい。

 昔から言われているのは、欧米並みに学級定員数を減らし、教員を増やす。そして学校長を支える学校事務組織を作るために学校事務職員を増やす。公立小中学校にも高校並みの事務職員数を配置し(実際同じ18学級でも、高校は事務職員4人配置だが、小中学校は事務職員1人のみ)、教員が行っている事務作業を請け負うことも可能だ。国だけでなく、県や市町村も財政的に(人的配置含めて)支援する必要があるのだ。それを怠ってきたから、だから現在、教職員のオーバーワーク問題が顕在化してきているのだと思う。

⑧2010年代、長野県事研で「学校組織マネジメント 事務職員版」の研究を行った。私はその研究委員に選ばれた。研究委員会は、その学校組織マネジメントを学校事務職員用に翻訳して一般会員に伝わるような内容を考えた。当時のトレンドは「ドラッカーさん」だ。ドラッカー経営学の基本は「人間の幸せ」にある。ミッション(使命)を明確にし、それを果たす、ということだという。学校事務職員のミッションは憲法26条に書いてある。「学校事務のマネジメント」の方法はいろいろあり、研究委員会でハウツーを情報提供したつもりだ。

⑨さて、ミッションを果たす学校事務職員として、学校目標をどのように支援するか。でもこういったことは、学校組織マネジメントとわざわざ言われなくても、今まで全教職員は学校目標をそれぞれがその役割でミッションを全うしてきたはずだ。全うできないとしたら、社会の多様化によって教職員が多忙化し、自分のミッション(使命)を見失しない、そして、目の前の仕事をこなすことだけが自分のミッションのように勘違いしてしまったことが、様々なトラブルの原因になってしまったのかもしれない。

「教職員の働き方改革」が教職員側からの投げかけによって国が考えざるを得なくなった今日、学校現場が抱え込んでしまった仕事をどのように手放していくか、知恵が求められている。人を増やさずに労働時間を減らせってか?

⑩「共同学校事務室」は、その地域の学校事務職員が「兼務辞令」を利用してフレキシブルに仕事ができるシステムだ。 

 例えばその地域に4校の小中学校があり、4人の学校事務職員がいれば、4人で4校の学校事務を回すという発想をすることが可能だし、学校現場が抱えている課題の解決方法を学校事務職員サイドから提案できるかもしれない。もちろん、4人は辞令をもらった自分の本務校の学校事務的課題を解決することが優先される。その課題を4人で共有しアイデアを出し助け合うことが「共同学校事務室」のだいご味だ。

 A校で成功した事例をB校に合うようにカスタマイズする。C校の課題をみんなで考える。お互いがサポートし合える関係作りが必須だ。

⑪長野県で気をつけなければいけないことは、持続可能な「共同学校事務室」にするには、長野県では市町村単位で設置しないということだ。何故ならば、長野県の県費事務職員の人事異動は3年から4年で全県的に異動するからだ。そして現在少子化で学校の統廃合が進んでいる。場合によっては町村で小学校中学校1校ずつの2校という場合がある。ベテラン事務職員が教育委員会と協働で「共同学校事務室」を条例化したはいいけれど、ベテラン事務職員が異動してしまい、後任に新規採用者が配置される可能性もある。そうなると新規採用者にとって大きな荷物になってしまう。「共同学校事務室」って何?という存在だ。「共同学校事務室」の設置の意味や運営などが厳しいという状況になる。現在、「共同学校事務室」を実施している大町北安曇地区(大町市・池田町・松川村白馬村・小谷村)や塩尻東筑摩南部地区(塩尻市朝日村山形村)が行っているような教育委員会の連合体での「共同学校事務室」が理想だ。全国的にも無い組織形態だと思う。

⑫勘違いしてはいけないのは、「共同学校事務室」を作ることが目的ではなく、この共同学校事務室というツールを利用して地域の教育目標を実現させる、合わせて学校事務職員のミッション(使命)を全うさせることが目的だ。そういったことを含めた、学校事務職員側の組織マネジメント的戦略がないと、行政に利用され(教育委員会の仕事をさせられる)、しんどい「共同学校事務室」組織、重荷になる組織になってしまうことが予想されるので、常に何故(WHY)を問い続ける姿勢が求められる。

⑬「何故、共同学校事務室が必要なんですか?」これを明らかにすることが大事だ。これを明らかにすることができないなら、無理して作ることもない。

 「共同学校事務室」を作ること、そして運営していくことは、それなりに大変でしんどく、ベテラン事務職員のリーダーシップが試される。

⑭2021年度(2022年1月)に大北事務研用に作成したスライド

「共同学校事務室のトリセツ」を参考にしていただければと思います。

2021年大北事務研「共同学校事務室のトリセツ(事務職員用)」スライド - 2050年の長野県の学校事務 (hatenadiary.com)